完璧なんか目指さなくていい

一つのことを、何度でも
いろんな形で表現したいのかな?
もしかして。
いっこじゃないのかも。

完璧なんか目指さなくていい。

いくらでも
どんな形でも
出していい。

そうやって、生きればいい。

使いかけのネギは残ってもいい。

今、やりたいことをやるのが
しあわせなのかなっておもったの。

幸せっていまこの瞬間のことなのかなって
おもったの。

今日のヨガクラスはとても幸せだと思った瞬間がいくつもあって、
帰りにしあわせってなんだろうって思った。
いく前といった後で
物質的にも状況的にも変わらないのに
しあわせだなあって気持ちがおなかに生まれている。
おなかがあったまっていて、安心して
ぬくぬくしている。

何かを得たわけでもなく
何かになったわけでもない
お金が増えてもない
ピッタリの仕事に出会えたわけでもない

行く前に悩んでいた状況とは
変わっていないのに
しあわせだなあと感じられる。

しあわせってなんなんだろう。

マットの上でからだを動かしただけである。

身ひとつで、しあわせがおなかからうまれてくる。

インストラクターのひとの
言葉がとってもやさしかったり
ひとつひとつがとっても響いたからかもしれない。

じぶんを丁寧に扱って、
自分の内側へ意識を向けて、
たっぷり時間をとってくれたことが
うれしかったのかもしれない。

まわりのひとたちも
じぶんを大事に感じていた空間
だったからかもしれない。

そこにあった波動が
わたしのからだを巡って
浄化されて
要らないものが手放されて
きれいになったら
本来のわたしの輝きが
かおをだすのかもしれない。

生きている喜びとか。
からだがのびたり
呼吸が通っていくって気持ちがいい
っていう喜びとか
最後の弛緩のポーズの
ぬくぬく、快適な喜びとか。

喜びっていつも
ここにあったんだろうか。
しあわせってつい外を見回してしまうけど
いつもここにあったんだろうか。

そこにいろんなものが積み重なって
たまたまちょっと見えなくなってた
だけなんだろうか。
外からもってこなくても
感じられるんだとしたら、
足りないものってないんだな。

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