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それでも負けたくない

はじめに

高校2年生から強迫性障害を診断され7年程と長い年月が経ちました。この「7年」が長いか短いかは自分の感覚にはなると思いますが、私にとっては長い年月に部類されるかなと思います。SNSで強迫性障害に患っている人のプロフィールを拝見させていただいていると、強迫性障害と患ってから10年以上も経っている人を見ていると、「すごい長い時間戦っているんだなぁ・・・」と思ったりもします。

また、SNSでは、強迫性障害に患っている人を支えるその家族の人達が発信をしているのも目にします。そんな方々を見ていると、本気で強迫性障害の本人と向き合おうとしているんだなと思ったりもします。もちろん、そういうことをやっていないから本気ではない、とかそういう話じゃありません。私自身も周りに支えられてここまでやってこれた一人なんです。

さて、ここら辺で今日のタイトルについて触れていこうと思います。『それでも負けたくない』というのは、もちろんもちろん私が患っている「強迫性障害」に対してです。過去を振り返ると、この「強迫性障害」によって色々なことを左右されてきた7年間でした。

これ以上は洗わなくてもいいとわかっている手洗い、乾燥しまくりであかぎれフィーバーになった冬。もうあかぎれが多すぎて痛みの感覚が訳分からなくなくなったり。高校はハンドボール部でボールが滑らないよう「松ヤニ」というものをつけて、その「松ヤニ」を落とすためクリーナーが必要でそれに応じて手洗いまくって、手がしんどかったなぁ。そんな長い手洗いを、高校の同級生の親友君はずっと待っててくれたのを覚えています。

高校生か大学生の時、強迫性障害もあり色々と追い詰められた時に頭につけていた『ワックス』をぐちゃぐちゃにして「もういやだ」って、母親の前で、そう言った時もあったかな。

自分の手洗いが長くて、周りの友達を待たせてしまった時、嫌な顔一つせず寄り添って待っててくれる友達がいっぱい。

前職の公務員。頑張って頑張って頑張って勉強をして、やっと公務員になれて、希望していた「児童相談所」で働くことができた。配属されるまでの期間、「働くこと」に関して嫌なイメージは全然なく、待ち遠しかった。天職だと思ったし辞める時が来るなんて微塵も思っていなかった。1年で辞めてまったんだけど。子どもが好きだからこそ、しんどいこともいっぱいあったな。でも、子どもたちに少しでも力になりたくて色々考えたなぁ。でもやっぱり現実はうまくいかなかったし、強迫性障害の病気も停滞か、悪化してたっけな。

こんな風に、出来事出来事に焦点を当てたら色々なことが書けそうな気がする。倒れそうになったり、挫けそうになったり、ボロボロになったりした。それでも立ち上がって頑張ってきたと思う。もしかしたら、一生強迫性障害が治ることはないのかもしれない。そんな未来を考えるのも嫌だ。しんどいんだ、この「強迫性障害」とやらは。

だけど、それでも負けたくない、潰れたくない。だから踏ん張る。この先自分がどうなっていくのか本当に分からないけれど、それでも前に進む。進んでいった先に何か見えてくるものがあると思う。

今日は自分語りになってしまいました。。

皆様に幸あれ。


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