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「誠実だね」は本当に褒め言葉なのか?

私は特に高校生になってから、「誠実だね」と他人に褒められることが非常に多くなった。でも私は、「誠実」の意味を知らない。「誠実」って何だろう?


中学生までは、「真面目だね」と言われていた。それが高校生あたりから、「誠実だね」に変わった。何にもしてないのに、初対面に近い人から「誠実だね」と言われたことすらある。

私は思う。「真面目」と「誠実」の意味はほとんど同じで、言い換えただけでは、と。

「誠実」でググると、まず一番上に「まじめで、真心があること。」と書いてある。もう「真面目」だって書いてある。

デジタル大辞泉での解説は、「私利私欲をまじえず、真心を持って人や物事に対すること。また、そのさま。」と書いてある。私利私欲、かぁ。そして「真心」かぁ。

「真心」でググったら、「偽りや飾りのない心。真剣につくす心。」と出た。

どこからどこまでの感情が「真心」なのだろうか?純度100パーセントの真心で物事を行うのは並大抵のことではないと私は考える。


インターネットで「真面目系クズ」という言葉が流行ったように、「真面目」という言葉は「自分から動かない、流されやすい」など最近はあまり良いイメージでは使われなくなった傾向にあると思う。それで、ただ「誠実」とちょっぴり言葉を置き換えられるようになっただけでは…?

また、「誠実」という言葉は恋愛においてよく使われる。

https://min.togetter.com/wA4okJF

「女性の求める誠実さの正体」

本当の「誠実さ」とは何かを考えるきっかけになるまとめだと思う。このまとめでは、女性が男性に向かって「誠実」だと言う時、主に「浮気をしない」と言う意味で言っているのだと書かれている。

「優しくて誠実な・真面目な男はモテない」とよく言われる。恋愛工学でも、一人の人を誠実に愛し続けることを「非モテコミット」などと呼んでいる。なぜ彼らは「誠実」なのにモテないのか?

まず、モテない男はモテないので、「浮気をしない誠実さ」という段階に立てない。なので、極端な言い方かもしれないがそもそも女性の求める「誠実な男性」だとは認識されない。誠実と認識されるために、初めにモテなきゃいけないという残酷な事実…。


ところで「誠実な男性」は、一体何に向かって誠実なのだろう?相手の女の子の気持ちに誠実なのだろうか。

ほとんどの男性は、相手が求めるものを真摯に追い求める誠実な恋愛をしているだろう。だけど、男性ならずともモテない私たちは、時に「相手に誠実」ではなく「自分自身に誠実」を突き詰めてしまわないだろうか。


自分のケースを書いていきたい。私は、人に絶対強い言葉を言ったりしない優しい人間でありたい、人を絶対傷つけたくない、という思いを持っている。いつからか知らないけど。

私が例えば相手にひたすら優しくおべんちゃらを言ったり、無難なことしか言わないのは、本当は「相手を傷つけることで傷つきたくない自分」への誠実さなんだと思う。

そして人から「誠実だね」とよく言われる要因の一つとして、「相手は絶対に自分へ厳しいことを言ってこない(なぜなら相手はこっちに怯えているから)」という信頼感があるため、なのではないかとも思ってしまう。相手に強い言葉を絶対使わない様子を、一種の真心だと捉えられている。

こうやって「誠実だね」と言われることが積もっていくうちに、この相手に怯えているゆえの真面目さ・優しさをある種のアイデンティティだと感じ取っていったり、逆に消極的なコミュニケーション以外の会話方法を忘れてしまったりしている。


一般的なイメージとして、真面目な人・誠実な人は「人にものを強く言わない優しい人」というイメージもセットでついてくる傾向にあると感じる。しかし、本当に相手のことを考えているなら時に強い言葉を使ったり、相手をあえて支配するような場をあえて作ったり、などというような瞬間もあるかもしれない。

例えば、別れ話。いくらあなたが相手を傷つけたくなくても、なかなか別れを切り出せずにズルズル付き合い続けていることは相手にとって時間の無駄となってしまう。人を傷つける勇気が必要になる瞬間は、絶対ある。

私は相手の気持ちを考えるから人を傷つけたくないんじゃなくて、「自分が傷ついた記憶があるから」人に同じ思いをさせたくない、と感じている。これは自分主体の考え方であり、「自分への誠実さ」である。

誠実さについて考えるとき、自分にとっての誠実さが「相手への誠実さ」なのか、「自分への誠実さ」なのかはよく考慮すべきだと思う。「自分への誠実さ」ばかりで自らの誠実さが構成されていたら、それは相手の本当に求めるものが蔑ろになってしまっているから、「誠実」とは呼べない。


人から「誠実だね」って言われた時に褒められたと思っていいのだろうか?という問いに戻る。

多分人は、あまり深い意味で「誠実」と言っているわけではない場合が多いと思うけど、

もし相手が心からあなたを「誠実」だと感じたということは、実際「自分の気持ちを汲み取ってくれている」という感覚があるのだろうから、喜んでいいのでは?と思う。

ただ、その場合でも、自分が相手に本当に誠実になっているかは、強く自問自答し続けるべきだ。「自分が誠実でありたいから」ではなく、「相手の求めるものを本当に送りたいから」という種類の誠実さを持っているかを。


本当に相手の求めるものを送るためには、自分と相手を客観視する能力が必要である。自分はどのような人で、今相手に向かって何をしているのか。相手はどのような人で、何を望んでいるのか。第3者目線で関係性を見る必要がある。

相手と自分を客観視するのには、結構高度な精神力がいる。自分の「こうありたい像」や相手の「こうであってほしい像」を捨て、自分の弱点という現実を直視した上で、相手の現実もありのまま見なくてはいけないから。

もし、私たちがこんな高度な精神的な営みを全く放棄して、ただ「相手に嫌われたくない」「相手を傷つけたくない」というウサギみたいな弱さで優しい人や誠実な人を演じ続けているのだったら、

自分を決して「誠実」とは呼んでいけないと思う。

弱さゆえの優しさを持っている限り、本当に誠実な人にはなれない。ただ「弱そう」とか「自分から動けない」みたいな意味で「誠実だね〜」と言われないためには、自分をかなぐり捨てて相手の立場に立てるほどの強さが必要である。



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