【小説】レジに立つ青年

夏彦は、惣菜コーナーで選んだ弁当と、値札のない梨を手にして、レジに並んでいた。前に立つ恰幅のいいおばさんが、溢れるほど食品を積み上げた買い物かごをドサッと台に置いた。長い髪を束ねた細身の女性店員が、次々と商品をスキャナーに通していく。ピッ、ピッというリズミカルな音。その店員は手を止めないまま顔を上げて、おばさんに声をかける。

「今年は梅雨が長いですねえ」

「本当、いつまで降るんだろうね」

青いユニフォームの首から、菅原、という名札が揺れていた。5190円です、という声とともに空になったカゴが押しやられ、夏彦は手に持った弁当と梨を、空いた台に置く。

東海地方の公立高校から現役で東京の大学に出てきたばかりの夏彦には、スーパーでの買い物自体あまり馴染みがなかった。母親の買い物についていくときも、レジの手さばきに注目することなどついぞなかった。それが今は、魔法のような手の動きから目が離せないでいる。カゴの商品を持ち上げる、傾ける、横に動かす、重ねる。菅原さんの動きは流れるようで無駄がない。それなのに、所作には余裕がある。

「いらっしゃいませ。ポイントカードはお持ちでしょうか」

夏彦はそっと首を振って、前に数歩進む。振り返って売場を見渡すと、天井から吊られた通路表示、行き交う客のショッピングカート、色とりどりの棚、品出しをする青いシャツの店員、視界の全てが鮮やかに映った。

「お会計、698円です」

気がつけば弁当と梨はもう、袋に入って置かれている。夏彦は千円札を受け皿に置いて、そっと菅原さんの表情を伺った。

目が合った。菅原さんの顔には、優しさと、強さと、自信とが表れていた。レジ打ちのお姉さんってかっこいいなと、夏彦は唸った。


夏彦はそのまま、弁当と梨の袋を手にしてサービスカウンターに足を向ける。ショルダーバッグから履歴書の入った封筒を取り出して、カウンターの若い男性店員に告げた。

「あのう、アルバイトの募集を見て来たんですけど」

「ああ、バイトくんね。ちょっと待って。黒田店長ー?」

青果フロアから40代くらいの背の高い男性が歩いてきた。黒田というその男性は、擦り切れて少し汚れたエプロンを着たまま、夏彦の履歴書にざっと目を通した。

「どうしてウチの店で働こうと思ったの?」

「……ちょうど通学の途中にあるんです」

面接というより世間話のような立ち話を数分。店長の黒田さんは、夏彦の提げた店名入りのレジ袋にちらりと目をやったあと、あっさりと採用を告げる。

「オッケー、じゃあ早速来週から頼むね。長く勤めて。」

黒田さんの穏やかな笑顔にほっとしたように、夏彦はまた一つ頷き、店を出て、徒歩3分のアパートに足を向けた。


🍐

アルバイト初日は、秋風の涼しい午後だった。パリッと糊のきいた青い制服のシャツに身を包んで、夏彦はレジに立つ。メンター役の菅原さんが隣に立ってくれる。

「……いらっしゃいませ。ポイントカードは」

ぎこちない口振りで、覚えた定番の台詞を口にし、最初のお客さんのカゴから商品を拾い上げる。スキャナーに通す。ピッ。出だしは上々。それでも、夜通し練習したはずの2桁のルック番号――バーコードのない青果などの登録に使う番号の対応表は、夏彦の頭からすっかり消え失せていた。

「……菅原さん、長ネギのルック、何番でしたっけ」

「24」

「24、と……小松菜は……」

「それチンゲン菜ね」

あわあわとレジに番号を打ち込む。残りの商品を通し、小計キーを押し、金額を告げる。5千円札を受け取り、5000と打ち込んで精算キーを叩く。飛び出したドロワーからお釣りの硬貨を取り出す手は、震えていた。

「夏彦くん、緊張してる?」

「……ご覧の通りで」

ガチガチに固まったまま、最初のシフトの3時間は、飛ぶように過ぎていく。


🍎

文系男子を絵に書いたような、中背で痩せ気味の夏彦は、決してどんくさいタイプではない。けれどレジ打ち=『チェッカー』の仕事は、案外マルチタスクだ。

チルド餃子を通す、味噌を通す、重い味噌は精算済みカゴの隅に置いて餃子は立てておく、ヨーグルトを通す、味噌の上に載せる、キムチを通す――ピッという音が鳴らない。バーコードを探す、もう一度底面を掲げてスキャナーに通す。玉子のパックを通す。玉子はつぶれないようにカゴの外に避難しておく。セロリに巻かれたテープのたわみを引っ張ってバーコードをかざす。5種類の野菜のルックを連続して打ち込む。小計キーを押す、金額を告げる、精算済みカゴをずずっと奥に押し出す、

ガシャッ

床に落下した玉子パックの割れる音が、夏彦の耳にやけに大きく響いた。凍りつく。1つ後ろのレジに入っていた菅原さんが、すかさず館内放送のマイクを取った。

「業務連絡ー。日配コーナーさんー、3番レジ、玉子Mサイズの交換お願いしますー」

無表情に玉子パックを持って駆けてくる青い制服の店員と、肩をすくめる主婦のお客さんとの視線を感じながら、夏彦はふうっと息を吐いて、主婦に頭を下げ、受け皿に置かれた小銭の金額を数える。


🍇

週3のシフトを2ヶ月も続けると、夏彦にも随分勝手がわかってきて、テトリスのような精算カゴの積み方や、よく出る食品のバーコード位置、それをどう傾けるとスムーズにピッが鳴るか、手応えが出てきた。

それでも。

夕方の数時間は、毎日レジが混む時間帯だ。チェッカーチーフの貝塚さんや、ベテランパートの野原さんの列は、人がすいすい流れていく。けれど夏彦のレジは少しずつ、行列が伸びていく。

「ナツくん、サッカー入ってくれる?」

見かねたように、菅原さんが交代で入ってくる。サッカーは、チェッカーと2人組で、袋詰めを専門にするポジションだ。袋詰め台が混んでくると、店員が袋に詰めるところまでを担う。菅原さんの、目にも止まらぬ手さばきに急き立てられ、夏彦は袋詰めに集中する。

このくらいの人数、さくっと捌けるようにならないと。

誰に言われるでもないのに、夏彦にはまわりの店員が遠い存在に見えた。きびきびと各チェッカーに配置と休憩の指示を出す、30代の貝塚チーフ。常連客といつもにこやかに話している、50代の野原さん。同じ大学で1コ上の先輩もいる。話したことのない人も何人かいて、社員かパートかバイトかなんて、見ただけじゃちっともわからない。

シフト終わりに事務所でレジの残金を数えながら、夏彦は帰りがけの野原さんに声をかけた。

「野原さんは、どうしてチェッカーを続けてるんですか」

「そうねえ、お客さんと会うのが楽しいから。あとはレジの仕事ってゲームみたいなトコあるわね。ミスをせずに、できるだけ速く。」

ロボットに置き換えられそうな単純仕事に見えて、チェッカーの仕事は案外おれに向いているのかもしれない。ミスはなかなか減らないけど。夏彦はぶつぶつ言いながらロッカールームに戻り、くたびれたユニフォームのボタンを外す。


🍎

2月の寒い平日、夏彦は朝イチのシフトで朝礼に出た。黒田店長が朗らかにあいさつする。

「今日は競合店オリンピアが臨時休業だからね!売上倍にする勢いでがんばろう!」

見渡すと、貝塚チーフもパートの野原さんも、いつもと変わらないリラックスした表情だ。それでも、フロア全体がぴりりとした緊張感に包まれる。

開店時間。自動ドアが開く。大勢の客が入ってくる。彼らがフロアを回ってレジに来るまで、まだ時間がある。そう思っていたら、鮮魚コーナーの油紙を持ったおじさんが、早足で近づいてきた。

「こちら、よろしければどうぞ」

夏彦は右手を挙げて呼びかける。長い一日が動き始めた。


早めの昼休憩を終えて、夏彦はフロアに戻った。

「野原さん、代わります」

「はーい、よろしくね。今日はずうっとこんな調子」

見ればどのレジにも10人くらいの行列。夏彦は腕をまくる。機械のような速さだけを求めるのではない。食品ひとつひとつを丁寧に扱う。お客さんを見る。ことばをはっきり発声する。夏彦は脳裏に、最初に見た菅原さんの姿を思い描く。レジ待ちの列が流れていく。


「差額、ゼロです!」

夕方までめいっぱいのシフトを終えて、夏彦は事務所でレジ締めの作業を終えた。立ちっぱなしの足と両肩は強張り、声も少し枯れていた。

「貝塚さん、そういえば菅原さんって最近……」

「ああ、知らなかった?菅原さんは今月から東高円寺の新店に異動したよ。あっちでチェッカーチーフ。見に行ってあげな」

「……新店」

夏彦は少しの間茫然として、そのあと気を取り直したように礼を言い、帰路に着いた。アパートから新店まで、確か歩いて20分ぐらいだ。もう少ししたら、昇格祝いに何か持っていこうか。でも渡すタイミングなんてあるのかな。

菅原さんが抜けた後も、高井戸店のチェッカー陣は精鋭揃いだった。半年、1年、1年半と過ぎて、夏彦もいつしか「古株」になっていた。


今も夏彦は時折、初めて目が合った菅原さんの表情を思い出す。優しく、強いチェッカーとして、夏彦は今日も、レジに立つ。


[完]

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#書き手のための変奏曲

昨年4月に書いたオオゼキのバイト話を小説仕立てにしてみました。初フィクションです!!(一晩で全部スマホで書きました。構成術の練習)

2003年の設定です。今ではルック番号の手打ち登録も、手動でおつりを数える工程も絶滅してるでしょうね(去年時点で高井戸店は全面セミセルフレジになっていた)。グローリーの自動入金機にかけて差額チェックする手順はまだあるのかな。


2019年の夏を席巻した(懐かしの)歴代オオゼキ文学もあわせてお読みください


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