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〔読書感想〕雑草はなぜそこに生えているのか

「雑草魂」ときくと「踏まれても立ち上がれ」と言った根性論を想起するが、実は雑草は、踏まれても立ち上がらないそうです。
立ち上がることにエネルギーを使うくらいなら、花を咲かせ、種子を残すのだとか。

きっかけは本書の、人の生き方も「雑草」と同じで多種多様でいいじゃない、という主張が心に残ったので読んでみることにしたのでした。

雑草は弱い植物

雑草は邪魔者で、抜いても抜いても生えてくるイメージだが、どこにでも生えるわけではないらしいのです。雑草にとってはその場所が、ほかの植物と共生しない場所だった。だからその場所で芽を出した、ということなのです。

いわゆる「雑草」は、森林地帯では育つことが出来ません。ほかの植物の方が圧倒的に強いからです。雑草とは、人が開墾したり整地したりした、まっさらな場所を生存エリアとして選んだ植物なのです。

そんな雑草はほかの植物と棲む場所を変えたことで今の地球環境で生きている「ナンバーワン」。そう思うと、雑草クンもこんなところに根付いて頑張ってるんだな、なんて思えたりもします。

また雑草は、その環境に適応する能力が非常に高く、同じ種類の雑草でも背丈を低くしたり、毒性を持ったりするそうです。だから雑草には人間が行う「分類」からはみ出すものが少なくないのです。


人間も同じ

人間は、他者と自分とを比較するため、何かと数値化し、それを平均化します。平均より上か下かで優劣を判断することもあります。
けれど、そもそもそうやって多種多様な個性を「平均化=普通化」すること自体、意味がないことなのではないか、というのが著者の稲垣氏の主張です。

この主張には共感しました。
「みんな違ってみんないい」とは言うけれど、私たちの社会は大抵、優劣がつきまといます。「みんなと同じことが出来る人」というのは「平均化された行動が出来る人」であり、それが出来ない人は「平均からはみ出た人」という扱いを受けます。

多種多様な個性を持った人が集まる教室で、全員が同じ授業を受ける。常に答えが用意されており、それ以外の解答は歓迎されない。あるいは、異なった意見は「答え」に誘導される。そういった教育が行われているように感じます。

もちろん、社会に出るに当たって必要な知識や教養はあるでしょう。
しかし「形」から教えるやり方では、芽を出せない、芽を潰される人もいることでしょう。

人間も、雑草のようにほかの植物が棲まない場所を選び、個性を発揮する生き方が出来れば、もっと生きやすく、幸せに暮らせるのではないか、と思います。

みんなと自分は違う。だから自分は変わり者なのだ、劣っているのだ、と考えるのではなく、その違いを喜び、それを活かせる場所で活躍できるような社会になっていくことを願うばかりです。

ちなみに、著者・稲垣氏の最新刊「はずれ者が進化をつくる」は、図書館の児童書コーナーに置いてあり、冒頭の文章も子供たちが読むことを期待した内容になっています。
本書および「はずれ者が進化をつくる」はきらびやかな表紙でもないし、なかなか子供が好んで読むものではないと思いますが、中高生以上にはぜひ読んでもらいたい良書です。

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