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【連載小説】「好きが言えない 2」#5 闘い

 校舎に戻ると、野球部のメンバーは筋トレや素振りに励んでいた。ひときわ熱心に見えたのは部長と野上。屋内での投球練習はできないが、下半身を強化するトレーニングに二人して取り組んでいる様子がうかがえた。
 マネージャーだから、と練習を免除してもらうのはなんだか気が引けた。すると私の姿に気づいた部長が練習の手を止めてこちらにやってきた。
「晴山クン。悪いが帰ってくれないかな。みんな本気なんだ。君がいると気が散ってしまう」
「……そうですね。分りました。では、失礼します」
「すまないね。レギュラー決めの際には君の力が必要になる。その日まで、君の答えを探しておいてほしい。頼んだよ」
 部長は私の肩をポンと叩き、再び練習に戻っていった。
 相変わらずの意味深な発言。君の答えを探しておいてほしい、とは一体……?

 雨が降りしきる中、帰る足取りは重く、また部長の言葉の意味も分かりかねていた。今の私にできるのは、祐輔を野球に集中させること。そのために、いったん離れる。それくらいしかないはず。
 帰宅すると、人の気配がした。今日はいろいろありすぎてすっかり忘れていたが、そういえば、いるんだっけ。
「ただいま、奈々ちゃん。具合はどう?」
「具合って……。私はどこも悪くないのよ。みんなが心配しすぎるだけ」
 その体で何を言ってるんだか、と言いたい気持ちをぐっと抑える。その発言のせいで大喧嘩になったのは記憶に新しい。
 三日ほど前、奈々ちゃんが帰ってきた。一時的な帰省ではなく、体調不良で。
 祐輔と付き合いだしてから、姉とはご無沙汰になっていて会うのは数か月ぶりだった。その間に何があったのかは想像するしかないけれど、やせ細った体を見た時にはぞっとした。まるで骸骨のようだったからだ。
 医者に言わせれば拒食症による栄養失調らしい。食べてもすぐに吐き出してしまうからどんどんやせてしまう。本人は「ダイエット」のつもりらしいが、だれが見ても病気だった。それまでだってちっとも太っていなかったのに、「まだ駄目。もっと痩せなきゃ」という寝言を聞いたときには唖然とした。新しい恋をして、姉は自分の目指す「美」に磨きをかけようとしているのかもしれない。
「そういうあんたは? 今日も部活だったの? それにしては帰りが早いじゃない?」
 姉は布団に横になったまま言った。
「まあね。いろいろあって」
「もしかして、彼と喧嘩したの?」
「教えない」
 当たらずとも遠からずの推理に、女の勘の鋭さを呪う。しかしため息をついたのは姉のほうだった。
「あんたもあんたよね。野球とは縁を切るようなことを言っておきながら、結局元の鞘に納まるんだもの。しかも祐輔君と付き合いだしておしゃれやお化粧をするかと思いきやしてないんでしょう? もう、理解できないわ」
 久しぶりに会った私が、ますます黒く引き締まった体になっていたのを見て言っているのだろう。
「私はこのままの私でいいの。それがいいって、祐輔だって言ってくれてるもん」
「そんな言葉に甘やかされて。努力もなし、自分も磨かない女は捨てられるのよ」
「なっ……! 私はっ……!」
 反論しようとしたその言葉に姉がかぶせてくる。
「女の美しさは肌の透明さよ。線の細さよ。あんたにはそれが分からないのね。足が速くたって何の役にも立たない。野球の球を見てあれこれ分析したってお遊びの域を出ない。そんなものにいつまでも夢中になってるあんたの気が知れないわ」
「よ、よくもそんなことをぬけぬけと……!」
 いくら病に臥せっているからって、妹をこんなふうに侮辱していい道理はない。カッとなって言い返す。
「奈々ちゃんは野球を真剣にしたことがないからそんなふうにしか思えないのよ。でもね、私たちは本気で球を追いかけてるの。そこに情熱傾けてるの。奈々ちゃんがダイエットに夢中になるより、ずっと健全なことしてるの。人を馬鹿にするのも大概にして!」
「何が健全よ。笑っちゃう。野球なんて、大っ嫌い」
 頭の中で、プチンとはじけたような音がした。鬼か魔女か、とにかく私の中に潜む悪者が飛び出してくるのを押さえつけることができない。顔が熱くなり、気づけば姉を叩いていた。
「奈々ちゃんが大嫌いな野球でもう一花咲かせてみせる! 私、プレイヤーに戻る。戻って上を目指して、日本中に名をとどろかせてやるんだから!!」
「…………! 女のくせに、野球野球って。女らしくしなさいよ!」
「いやだ! 私には私の生き方があるの。奈々ちゃんとは違うんだ!」
「バカッ! 詩乃のバカッ!」
 お互いに汗と涙を流しながら罵倒しあった。時間の経つのも忘れて。

 思いの丈をぶつけ合ったというのに、あとに残ったのは悲しみと空しさだった。
体力のない姉は、そのあと眠ってしまった。あんなふうに叩いたり非難したりして悪かったな、と今頃になって反省する。
 去年の夏に私が野球を辞めると言ったとき、姉は「これで最後」のつもりで手を差し伸べてくれたのかもしれない。そもそも、ずっと野球を続けることに反対してきた姉が私の味方でいたこと自体、不自然だと気づくべきだった。
 今回の大げんかは、起こるべくして起こった。あれこそがきっと、彼女が長年抱いてきた本心だったのだろう。
 私が野球を続ける限り、いや、野球が好きでいるだけで姉とはもう二度と、分かり合えないんだろう。和解するチャンスを、私は自らふいにした。
 ――ごめんね、奈々ちゃん。でも私は、奈々ちゃんみたいには生きられない。だからもう、仲良し姉妹になろうって夢を抱くのはやめてよね。私たちは、そういう関係にはなれないのよ、きっと。

 勢い余って「プレイヤーに戻る」と言い放ってしまったが、今考えてみるとあれは私の本心だったのでは? と思う。
 ずっと選手としてボールを追いかけてきた私だ、今はマネージャーというポジションにいるが、グラウンドで汗を流したいという気持ちは常に持っている。
 ――君の答えを聞かせてほしい。
 部長はそう言った。待っているのか……? 私が選手として戻ってくるのを。それとも別の考えがあってのことなのか……?
 私が戻ると宣言した場合、ポジション争いはより激しくなる。女の私にレギュラーをとられまいとする先輩も出てくるだろう。ひょっとしたら、部長の狙いはそこにあるのかもしれない。
 グラウンドに戻るか、サポートに徹するか。
 姉にぶつけた想いが本心ならば、私は一週間できちんと「答え」を出さなければならない。


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