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特撮ドラマには2種類ある

「特撮ドラマ評」シリーズも3本目を数え、マガジンも公開しました。

それらを通して前提となっている評価軸があります。それは
人間社会をどう捉えているか
言い換えると、【現実社会に対してどういう世界観を持っているか
という軸です。

この軸で評価すると、(二分できるわけではありませんが)2つの極の間に作品を分布させることができます。


人間社会の矛盾をえぐり出すリアルな特撮

要するに「社会派」と評される作品のこと。昭和ウルトラマンに多い傾向。
代表的なのは「帰ってきたウルトラマン」で、自衛隊の暴走(シーモンス・シーゴラス回)や民族差別(メイツ星人回※)など数々のエピソードで深刻な問題を描いている(ただし女性蔑視表現も目立つ)。
「宇宙人」や「宇宙怪獣」というと向こうから地球に乗り込んでくる印象が強いが、「ウルトラセブン」ギエロン星獣回のように地球側が先に攻撃したエピソードもある。
※メイツ星人回は「ウルトラマンメビウス」に続編といえるエピソードがあるが、これは侵略戦争の歴史と支配のための差別・分断という真実を著しく捻じ曲げるものだった。

近年の作品で驚いたのは、「ウルトラマンZ」で防衛軍が生み出した破壊兵器についての「アンダーコントロール」発言。電通がスポンサーについた番組でその台本が通ったのは意外。
最近では「仮面ライダーBLACK SUN」が問題作に。一度あれを見てしまうと、テレビシリーズを無邪気に楽しんでいた自分には戻れない。

“平和だった人間社会に外敵が襲ってくる”というファンタジーな特撮

「外敵」が空想的である以前に、「平和だった人間社会」からして空想的な世界観。
スーパー戦隊シリーズはほとんどがこちら寄り。せいぜい“環境破壊”とか“紛争”を敵怪人が抽象的に非難する程度。「秘密戦隊ゴレンジャー」の「大耳仮面」がナチスに由来を持つ設定だが、自国の「731部隊」を避けて他国の「ナチス」を出してきたあたり戦時体制風刺にしては腰が引けている。
「宇宙戦隊キュウレンジャー」の「宇宙幕府ジャークマター」のように権力機関としての敵組織もあるが、人間の公権力にジャークマター的暴虐性を見出すような社会派要素はない。
仮面ライダーもテレビシリーズは1作目からこっち寄り。ショッカーは鷲モチーフも含めてナチスを彷彿とさせるが、日本国政府との接点はないのが「BLACK SUN」のゴルゴムと対照的。
「仮面ライダービルド」は反戦平和志向を装いつつこっち側だった。

2024年1月現在放送中の三大特撮はどうか?

ウルトラマンブレーザー

軍事組織の抑圧性はよく描いているが、保険屋の回はおそらく脚本が意図したほどすっきりする顛末ではなかった。社会派とはいえない。

また、ニジカガチ編はウルトラマンと戦隊で頻出の【人類による環境破壊】回。
このテーマを扱っただけで「社会派」ともてはやす向きもあるだろうが、問題は人類社会のどの部分が環境を破壊しているのかということ。資本主義は新自由主義の時代に入って「命より金儲け」とか「今だけ、金だけ、自分だけ」と暴露され、また2022年から23年にかけて一層浮き彫りになったこととしては【戦争を必然的に伴う社会】であるが、それは人間中心主義というよりは資本家階級が労働者階級の生存をないがしろにする中で環境も破壊されているということ。

“大洪水よ、わが亡きあとに来たれ!”これがすべての資本家およびすべての資本家国民のスローガンである。それゆえ、資本は、社会によって強制されるのでなければ、労働者の健康と寿命にたいし、なんらの顧慮も払わない。

K. マルクス『資本論』第1部「資本の生産過程」

(2024/1/21追記)20日放送の最終回では、4波にわたる宇宙怪獣/宇宙船団の襲来が地球側による攻撃に端を発していることが発覚。“そうだとしても今は相手が攻撃してきているんだ”と開き直るドバシ元司令に対し、エミ隊員の機転で危機は回避される。
ただ、これによって反戦・平和というテーマがリアルに描き出されているわけではない。
①民衆は指示を受けて避難するだけ(船団との交戦が回避され怪獣だけが残ってもその状況は変わらず)で、戦争に動員されるとかそれを拒否するといったことは問題にならなかった
②エミも“ドバシはやるべきことをやった”と認めており、そもそも自衛と称する先制攻撃に警鐘を鳴らす物語ではない
③「ブレーザー」作中の人類は地球外の文明に到達するだけの技術を持ち合わせておらず、地球側の体制を侵略までやってのける存在として描き出す余地がなかった(前述のメイツ星人回も同様)
以上3点は目下、政権が「台湾有事」などを叫ぶ中で喫緊の課題となっており、率直に言って近年のテレビシリーズならそこに肉迫できないのは想定通り。

仮面ライダーガッチャード

「人間の悪意」が怪物「マルガム」を生み出す。「W」〜「ウィザード」のように、敵組織が人間の弱さにつけ込んで怪人にする。
社会問題の投げかけとしては弱く、どちらかというと矛盾を個々人で引き受ける強さに解決口を見出す傾向。

王様戦隊キングオージャー

(最終回放送を受け大幅に書き換えています)
何よりもまず、本作は「天皇制国家日本」で制作・放送されているという事実に目を向けなければならない。

物語は異世界を舞台に、きわめて独特な「国家」観にもとづいて展開された。国家の成立条件に「国王」が挙げられており、共和国という概念はないらしい。
惑星「チキュー」は5つ(のち6つ)の「王国」に分かれているが、治安機構としての国家の本質を唯一体現しているのが監獄と裁判所からなる王国(!?)「ゴッカン」で、それ以外は統治機関の体をなさない【共同体】ないし【職業集団】の様相を呈している。

その中で、当初は貧民出身の反逆者として登場した主人公=レッドだが、実は王(シルバー)の弟であることが判明しそのことによって「無罪」を言い渡されたり、兄王が悪者だったのもフェイクで最後は和解したりと、種明かしが進むにつれて古来の王家に収斂していく。

そして第49話から第50話(最終話)にかけて、「キングオージャー」とは君主制ボナパルティズム(※)の物語そのものであることが浮き彫りになった。特に最終話の展開は、「これは異世界ものだから」と割り切って視聴する余地を完全に抹消した

※日本における「ボナパルティズム」とは、天皇の権威に依拠して行政・治安権力を強大化させ民衆を抑圧する統治形態のこと。

現在、日本政府はウクライナ「復興」を騙って参戦国となり、能登被災地や沖縄基地周辺を一切かえりみず軍拡に注力し、“中国の脅威”をあおって侵略戦争に突き進んでいる。その日本にあって「英雄としての王様の物語」が日の目を見たということ、これが意味するのは「進め一億火の玉だ」の再来に他ならない。

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