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特撮ドラマ評「仮面ライダービルド」

(アイキャッチ画像出典:https://www.tv-asahi.co.jp/build/

【軍事兵器としてのライダーシステム】を生み出し、政治と科学の狭間で戦う「仮面ライダービルド」。
ニチアサのテレビ本編としては異例の社会派作品と思いきや、終盤まで見るとそうでもありませんでした。


戦争と科学、その物質的基盤

「3つに分かれ、混沌を極めていた」コピペで親しまれる本作。初期の描写では、“火星から持ち込まれた「パンドラボックス」によって政治家の野心が掻き立てられ、戦争を引き起こした”とされていました。
一方、ラスボスの「地球外生命体エボルト」は“人間の科学が戦争の原因”と語ります(「ウルトラマンオーブ」でも「強力なパワーを作り出した途端、破壊と暴力に呑み込まれてしまう」と語られるなど、このような思想は特撮ドラマにおいて一つのステレオタイプになっています)。
「ビルド」の真相としてはそのエボルト自身が黒幕で、地球を滅ぼす計画の中で主人公の物理学者・桐生戦兎がライダーシステムを開発するよう仕向けたのでした。

ところで、「戦争」とは現実の世界で繰り返されてきた悲劇です。周知のように、近代資本主義は帝国主義列強と呼ばれる諸国家を生み出し、その国家が二度の世界大戦を引き起こしました。世界戦争の危機は過去の話ではなく、人類を滅ぼす核戦争の勃発が実際に危惧されています。
「ビルド」の世界に話を戻すと、「スカイウォールの惨劇」によって3つの「都」(事実上の国家=戦争主体)が生まれ、その背景にはエボルトの地球を抹殺する意図が存在しました。舞台設定として悪くはありませんが、人類を滅ぼすだけなら戦争主体の三都さえ生み出せばあとは勝手に進む(最近の作品でいうと「王様戦隊キングオージャー」のダグデドが「勝手に進む」系の黒幕)わけで、エボルトにそうさせなかったのはせっかく盛り込んだ政治の要素を活かし切ったシナリオとはいえません。

また、現実の国家は軍事研究に予算をつけて科学者を買収します(無自覚な科学者はむしろそれを「研究の自由」と錯覚する点に留意)。その予算とは、国民から巻き上げた血税に他なりません。
一方、「ビルド」の描写では、各「都」が戦争や研究開発を遂行するための物質的基盤が不明です。実は、そこを掘り下げると「氷室泰山=善良な首脳」という物語の本筋にかかわる要素が崩壊してしまうのです。

もちろん、「すべての素材はエボルトが地球外から持ち込んだのでライダーシステムの開発に国家財政規模の予算は不要でした」という言い訳は成り立ちます。「ビルド」の主人公は政治家ではなく科学者である以上、そこは本筋ではないと思われるかもしれません。
しかし、科学を軸に据えるにしても、ちゃんとやるなら政治的/産業的背景を軽視するわけにはいかないのです(政府が軍事企業「難波重工」と癒着していた設定や、相棒の万丈が戦兎に“科学者として軍事研究には断固反対すべきだ”と突きつけた場面は評価できます)。

産業と商業がなかったら自然科学などどこにあるだろうか。この「純粋な」自然科学でさえ、じつにその目的も材料も、商業と産業によって、つまり人間の感性的な活動によって、はじめて受け取るのである

K. マルクス『ドイツ・イデオロギー』

いうまでもなく、物質的基盤は軍事研究以上に軍事行動そのものにおいて問題になります。それは、泰山や戦兎のように自らの軍事行動を「自衛」に限定している(と謳う)場合も例外ではありません。
その点、「戦争」が【非道な侵略とそれへの反撃】としては描かれるけれど、その侵略や反撃を可能にしているはずの国家総動員(徴兵・徴用)が全然描かれないのは片手落ちといわざるをえません。挙げ句の果てには、軍事行動の代替として「代表戦」まで開催される始末(互いの兵士や銃後の守りを傷つけ合わないという一点に、西都などが代表戦の勝敗を反故にできてしまう物理的根拠があるのです)。これでは戦争に反対しなければならない理由が半分しか示されていないし、何より「戦争反対」ということ自体の中身が不十分になってしまいます。

「自衛」とは「ラブ&ピース」を守ることか

「ビルド」前半では“侵略は許されないが自衛なら許される”という命題に主人公サイドがこだわる描写が目立ちます。

しかし、近代以降、すべての侵略戦争は「自衛」を謳って推し進められました。今でも“日本帝国主義のアジア侵略”と言うと「自虐史観」などと憤慨する人がいますが、それなら逆に自国政府が——あるいはアメリカやイスラエルが——どこまでのことをしたら「侵略戦争」と認めるのでしょうか。主語が「中国」や「朝鮮」に入れ替わった瞬間、その基準を大幅に引き下げる欺瞞を私は何度も見てきました。
これは脱線した話ではありません。よりにもよって侵略の歴史を持つ日本という国にあって、“自衛ならOK”という恥知らずな主張を所与の規範とする武装戦士(仮面ライダー)のどこが「ラブ&ピース=愛と平和」を守るヒーローなのかということです。

国家正当防衛による戦争は正当なりというが、これを認めることは有害。近年の戦争は、国家防衛権の名において行われた。故に、正当防衛権を認めることが、戦争を誘発するゆえんであると思う。

吉田茂、1946年6月25日衆議院本会議にて
(こう見えて日本共産党・野坂参三への反論!)

そもそも、「自衛」とは誰が・何から・何を守ることでしょうか。東都の氷室泰山が「善良な」首相として描かれている上、北都・西都も含めて徴兵・徴用の描写が一切ないのでわかりにくいですが、既述の通りこれはファンタジー。どちらかというと、「すべては難波重工のために!」と身を捧げる「難波チルドレン」の方が「自衛」という行為の構造を再現しています。つまり「自衛」とは、国民の犠牲によって(自国政府以外の)何かから自国政府を守ることであり、万丈などが素朴に考えるような民衆の生活を守ることでも、戦兎が目指す「愛と平和」につながることでもないのです。

西都(エボルト)が日本を制圧した段(第42話)になって、初めて「自衛」を語ることがペテンとして描かれます。エボルトの目的を知っている者から見れば、「自衛」と言ったところで誰がエボルトを防衛するために体を張るのかという話にしかなりません。
この点で氷室政権よりもエボルト政権の方が現実の国家に近いのですが、「ビルド」の世界観はどちらかというと【平和だった人間社会にエボルトが戦乱をもたらした】という感じですよね。「ウルトラマンエックス」評で書いたこととも重なりますが、これは「平和だった人間社会」の部分においてこそ空想的なのです。

まとめ

(注)「仮面ライダー3原則」とは

まず「同族争い」。ショッカーの改造人間であるライダーが同じショッカーの改造人間と戦う。そして「親殺し」。自分を生みだしたものと戦って、最終的には倒すことが目標になる。最後に「自己否定」。ショッカーを壊滅させても、ショッカーの改造人間である自分自身は残る。

ライダー同士が戦う「仮面ライダー龍騎」 戸惑いの声受けても守った“石ノ森イズム”
(https://dot.asahi.com/articles/-/126313?page=1)

ライダーシステムが軍事兵器なら、黒幕は【自国政府】以外にありえませんでした。ところが、蓋を開けてみると“政府と軍事企業の癒着を背景にライダーシステムが開発される”ということすら「地球外生命体」の陰謀でしたと。
曲がりなりにも戦争と国家の問題を描く中で「ラブ&ピース」を主人公の回答として堅持したのは頑張った方かもしれません(それだけでも右からのバッシングは全然想定できる)が、それを人間社会の戦争体制に立ち向かう「反戦平和」として作品の基軸に据えることはできず中途半端に扱ってしまった結果、【自衛戦争容認】という致命的な路線に陥ったといわざるをえません。

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