見出し画像

「大塚」変革のキーパーソン・Kさんとの出会い~「まちのテーマ」が決まった~

マイナーな駅の、単なる不動産賃貸会社の1つに甘んじていたくない。

2011年、山口不動産の代表権が祖母から母へ移ったタイミングで取締役に昇格した僕は、そんな気持ちに突き動かされるように、次第に前向きに仕事に臨むようになっていきました(前回)。

そんな中、僕は縁あってブランディングディレクターのKさんと出会います。

この出会いによって「大塚をまちごと変えていこう」と視界が開けました。

今回は、そんな「Kさん」について書きます。

出会いは、星野リゾートとの商談を進めていた約4年前でした。

きっかけは、旧友と久々に出かけたゴルフでの会話

大学からの友人であるコルク代表の佐渡島庸平と、久しぶりにゴルフに出かけた日のこと。佐渡島にとって、勉強も仕事もそれなりに要領よくこなす、けれど熱意はあまりない印象だったであろう僕が、この日は珍しく仕事の話(星野リゾートはじめ開発の話)でつい熱くなりました。

そんな僕を見て、彼も何かを感じ取ってくれたのかもしれません。この時「すごい人がいるよ」と紹介してくれたのが、Kさんだったのです。

大塚を変革する「ironowa ba project」は、このブランディングディレクターのKさんの存在なしには語れません。

Kさんが唯一無二なのは、「Kさん」とここでイニシャルで書いているように、メディアなどの表舞台に一切出ないこと。Googleを叩けば何でも見つかるこの時代に、本名で検索しても見事に出てこないのです。

ポートフォリオは残さない。つまるところ、名前も残さない。それでも仕事の依頼が引きも切らないのが、Kさんです。

「ba」のビル名が決まる前は、「tomaruba」だった…

その頃、竹中工務店との打ち合わせも、星野リゾートが入る建物(現在のba01)や高級賃貸マンション(現在のba03)のビル名をそろそろ決めなければ、というフェーズに差し掛かっていました。

僕がビル名としてまず考えたのは「tomaruba(泊まる場)」や「sumauba(住まう場)」。

生意気な話ではありますが、儲け主義や利回りばかりに囚われて、ちゃんとした「場」を提供できている不動産会社が決して多くはないと感じていたので、「魅力ある『場』を提供していける会社になりたい」という考えからの、僕なりの「想い」でした。

「豊島区北大塚1-19-3 sumauba501

マンションだとこんなイメージですね。

加えて、古民家街(現在のba02=のれん街)は「tsudouba(集う場)」に、既存ビルも「ikouba(憩う場)」や「hatarakuba(働く場)」にしていって、これからは色んな「場」がつく建物をたくさんつくっていくんだ!…と、妄想をどんどん膨らませていました。

竹中工務店の担当も「それ、いいですね!!」とますます盛り上がってくれます。(今思うと、ヨイショの可能性もありましたが…笑)

まさに、そんな時でした。Kさんに出会ったのは。

Kさんは、著名な芸能人のブランディングをはじめ、多数の仕事を手がけていますが、いわゆる「業界人」イメージとは反対の、全く気取ったところのない、柔らかな雰囲気を身に纏った方です。

僕は意気揚々と、打ち合わせに現れたKさんにビル名のアイデアを熱く語ります。

ところが、Kさんは「うーん」としばしの沈黙…汗。

そして、返ってきたのは…

「そのネーミング、いまは良いと思うけれど、きっと10年後はダサくなると思いますよ」

「でも、ba(場)を提供したいという想いはとっても素敵だから、ba(場)だけ切り取るというのはどうですか?」

「それで、「b」と「a」にもそれぞれに意味を持たせたらもっといいんじゃない?そうだな…たとえば「b」は『being』で「いること」、「a」は『association』で「つながり」。なので、being & associationなんていうのはどうですか?」

とさらっとコメント。しかも、ここまで1分もかかっていません。
足の先から頭まで、電気が走ったようでした。

初めての打ち合わせ、かつ、まだ大塚全体への構想もなかった段階にもかかわらず放たれた、クリエイティブで本質的なアイデア。

こんなふうに、瞬間的にそのプロジェクトの幹になるようなアイデアに至る人に、僕は初めて出会えました。

大塚を街ごと変えていけるのではないか—という想いが芽生えた

Kさんのアイデアを受け取った直後は「『ba』ってかっこいい! 森ビルの『ヒルズ』みたいでイケてる!」という直感的な高揚でしたが、Kさんが言葉を与えてくれたことで、これまでぼんやりとしていたテーマの輪郭が見えてきました。

そこから、「ba」=「being & association(そこにいれば、つながりを感じる場へ)」という、今もプロジェクトの中心にあるコンセプトが生まれたわけです。

ホテル、飲食店、マンション…手がける物件の用途はバラバラでしたが、迷ったら「being & association」というコンセプトに立ち返って試行錯誤を重ね、実践していく過程で、僕はこの街を舞台にひとつの壮大なストーリーを紡いでいるような感覚になっていきました。

それまでは単なる自社所有物件のひとつだったそれぞれの場所を、一貫した理念をもって開発していくことで、点と点が繋がり、面として大塚を街ごと変えていけるのではないか。

そんな想いを抱き始めていました。

このプロジェクトは、今回のビル開発だけで終わるようなもんじゃない。きっと10年先も、20年先も続いていく。「ba」のロゴを流行に左右されない、普遍的なデザインにしたのもそのためです。

僕にとってのKさんとは?

ところで、おこがましい例えではありますが、仮に僕を三国志の「劉備」だと仮定したならば、Kさんはまさに「諸葛孔明」。僕の置かれた状況、大塚という街のあり方を俯瞰して見つめ、進むべき道筋を指し示してくれる人です。

冗談抜きに、大概の事はKさんの言っていた通りになっていく。まるで占い師のごとく、Kさんには未来が見えているかのようです。でも、これはきっと、数多のプロジェクトに携わってきた経験、圧倒的に客観視し続ける姿勢に裏打ちされたもの。いつも刺激を受け続けています。

そんな偉大なメンターの影響を受けて、僕の思考もどんどん変わってきています。

もともとの僕は、東大・銀行・会計士という経歴が物語るように、合理的かつ論理的に物事を考える、どちらかというとサイエンス思考のタイプでした。それがKさんと出会ったことで、センスや直感、柔軟なアート思考の重要性に気付かされました。

加えて、核心を突かなければならない、状況によってはシリアスな場面でも、相手の心中を察して、柳のように柔らかく対応することを自然にできるKさん。「ですよね~?」というKさんのソフトな語り口を無意識的に真似している自分がいたりします(笑)。

こんなふうに自分を変えてくれることになったKさんとの出会いに、本当に感謝しています。そして、一緒に「 being & association(そこにいれば、つながりを感じる場へ)」というコンセプトを考え、「ba」というブランドを決められたことが、大塚の街を加速度的に変えていく契機となったことは間違いありません。

そんな、僕の人生においても、大塚の街にとってもターニングポイントとなった、Kさんとの出会いから遡ることちょうど1年前、2016年3月のある日のこと。

実は、僕は大塚の開発どころではない窮地に陥っていました。

母に社長の座を譲ったはずの祖母(第2話参照)から、母宛てに訴状が届いたのです…。

次回に続きます。

大塚のまちをカラフルに、ユニークに

大塚が変わるプロジェクト「ironowa ba(いろのわイロノワ・ビーエー) project」とは?(▼)

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?