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大塚のまちに恩返ししたいと思い『ぼんご』移転を決めました~対談:右近由美子/『おにぎりぼんご』女将~

価値ある新しいものを創るのであれば、ひとりより仲間と一緒に挑んだ方が、色んなアイデアやパワーが生まれる――。
 
僕はそう信じて、東京・大塚のまちを盛り上げようとするとき、様々なクリエイティブな方の力をお借りしながらプロジェクトに取り組んでいます。そんな僕の思いに共感してくれ、今回ご登場いただくのは、大塚で絶大なる人気を誇る、日本で一番有名なおにぎり店「おにぎりぼんご」の女将、右近由美子さんです。

実は2022年10月10日に、「おにぎりぼんご」が、僕らが所有する物件に移転リニューアルして仲間になりました。場所は、以前の場所から約100メートル離れた、「東京大塚のれん街」のすぐお隣り、都電荒川線が走る線路の目の前です。

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【右近由美子さんプロフィール】
大塚で人気のおにぎり店「ぼんご」の2代目店主。19歳の時に家出し新潟県から上京。24歳の時、「おにぎりぼんご」の店主でドラマーだった右近祐(たすく)氏と出会い結婚。今年70歳を迎えた今も、おにぎりと人情で人々を魅了し続けている。

「おにぎりぼんご」は1960年、大塚駅前で創業。1997年に駅前再開発に伴い、豊島区北大塚2丁目26‐3へ移転。その後、山口不動産の提案で2022年10月10日、豊島区北大塚2丁目27‐5に新店舗を再オープンさせた。店名「ぼんご」は、ドラマーだった祐さんが打楽器の名前から命名。音が遠くまで響くよう、店名も遠方まで伝わり多くのお客様に来て欲しいという想いが込められている。

武藤 「おめでとうございます。ついにリニュアールオープンしましたね」

右近 「有難うございます。私もう70歳になったし、残りの人生は好きなことをしようなんて思っていた矢先、2021年秋に浩司さんから移転のお話をいただいて」

武藤 「もっと駅に近くて良い場所に、山口不動産が所有する2階建ての住宅が空いたので、ここに『ぼんご』があったらいいなあと思い・・・無理を承知でお声がけしました。築50年以上の古い住宅を店舗に改装するのは色々と大変でしたし、由美子さんも久方ぶりの移転でてんやわんやだったでしょうが、無事再オープンを迎えることができて感無量です」

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新店舗オープン初日。開店を待ちわびたお客様の行列は120名を超えた。一時は6時間待ちに。

右近 「私もまさかこんな展開になるとは、少し前まで想像もしていませんでした」

武藤 「由美子さんとこうしてお話しするようになったのって、実はほんの2年くらい前なんですね」

右近 「そうですね。それよりも前から、山口不動産の方はランチによくテイクアウトしてくださっていたけど」

武藤 「うちの社員がある時、『何かの繋がりになれば』と僕の直筆メッセージ付きの名刺を由美子さんに届けてくれて。その御礼に由美子さんからハガキをいただいたのが、最初のきっかけでした」

右近 「名刺をいただいた方には、ハガキを出すようにしているんです。そうすると、相手の名前を覚えられるから」

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武藤 「あの時は有難うございました。その後、さらにターニングポイントになったのは、2021年春頃ですね。池袋で、豊島区の高野区長とコシノジュンコさんのトークイベントがあって、豊島区の方から『打ち上げを大塚でやりたいから、良い感じの店を予約してもらえないか』ってムチャブリされて(笑)。ゲストに喜んでもらいたい一心で、由美子さんに『ぼんごを貸切にして、高野区長とジュンコさんをおもてなししたい』ってお願いしたんですよね」

右近 「貸切なんて史上初でしたよ(笑)。ビックリしたけれど、私ジュンコさんの大ファンだったので嬉しくて

武藤 「由美子さんのおかげで、区長もジュンコさんもとても喜んでいただけました。移転のお話をしたのは、その年の夏頃だったと思います。改めて、どうしてこのお話を受けてくださったんですか?」

右近 「夫が亡くなってからしばらくの間は、生きがいがなくなったようで思い悩んでいたんですが、ちょうどその頃から“お世話になった大塚のまちに恩返ししよう”と考えるようになったんです。浩司さんが大塚の街をどんどん良い方向に変えてくれているのを目の当たりにして、“浩司さんなら大塚のまちを元気にしてくれる”と期待して移転を決めました

武藤 「僕の『大塚に誇りを取り戻したい』という想いと近いものをお持ちだった?」

右近 「そうですね、お店で周りの方の会話を聞いていても、大塚って知られていないんだなと感じていて。一緒にまちを元気にできたらと思いました」

武藤「ブランディングディレクターのKさんに会っていただいたのもその頃でしたよね」

右近「Kさんと初めて食事をご一緒した時、『武藤さんは未来を作ります。でも、由美子さんはこれから、過去を作っていってください』と言われたんです。これからできることっていくらでもあるんだな、と背中を押されました」

武藤 「Kさんには、お店づくりにあたってもたくさんアドバイスいただきました。由美子さんがこだわってきたのは、握りたてのおにぎりを温かいままお客様に提供するという、お寿司屋さんのようなカウンタースタイルですよね。そこは絶対に維持しないといけないし、あと、前のお店が持っていた昔ながらの雰囲気もそのまま残したかったんです。だから、看板もカウンターも椅子も、前のお店で使っていたものをそのまま新店舗に持ってきました。カウンターなんか、へこんでいたりしますけど、そこも味だと思って、そのままにしたんですよね。由美子さんは新しくしたがってたけど(笑)」

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右近 「浩司さんが初めて『ぼんご』に来たのはいつなの?」

武藤 「僕が高校生とか大学生くらいですかね。しゃけ・ツナとかオーソドックスなおにぎりをいつも注文していました。今、大好きなのは、卵黄+納豆+しらすのトリプルトッピングです(笑)」

右近 「そんなワガママ言うの、浩司さんくらいよ(笑)。今はおにぎりの種類だけで57あって、トッピングも合わせると相当数の組み合わせになるけれど、私がお店に入った1970年初めごろは20種類くらいしかなくて。浩司さんがいらした90年代ごろも、今ほどはおにぎりの種類は多くなかったかしらね」

武藤 「これだけあると、具材の仕込みは大変そうですね」

右近 「1週間分をまとめてつくります。欠品させたくないから量や数には細心の注意を払いますね」

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武藤 「僕が高校生・大学生くらいの頃は、行列もなかったです。ついこの間なんか、車が行き交う交差点まで列が連なっていましたね・・・」

右近 「そうね、10年前は行列なんてなくて、5年前くらいからかしらね。所ジョージさんの番組でお店が紹介されて、それ以来ね。メディアの方々には本当に感謝しています」

武藤 「でもメディアに取り上げられた直後は、わーっとお客さんがたくさん来て並ぶけれど、普通は一週間くらいで落ち着くって言いますよね。時間が経っても、ずっと行列ができて途切れないのは、『ぼんご』のおいしいおにぎりと、由美子さんをはじめ、スタッフの方々のおもてなしが、そうさせるんだと思いますよ」

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右近 「私、おにぎり以外のことは考えていないんです。頭の中は100%おにぎり。おにぎりと一緒に死んでもいいと思っているんです(笑)」

武藤 「『100%おにぎり』になった背景を知りたいです。東京には、故郷の新潟から家出して来たと聞きました」

右近 「私も若かったから、厳格な父とそりが合わなくてね。飛び出して来ちゃいました」

武藤 「それはいつ頃?」

右近 「忘れもしない、1971年2月11日です。新潟から夜行列車に乗って上野駅に着いて。雪国からやっと出てきたと思ったら、東京も雪が降ってて寒かったぁ。すぐに、大手町なら仕事がいっぱいありそうだと思って行ってみたら、その日は祝日で店も会社も開いてない(笑)。仕方なく上野に戻って、入った喫茶店で『ここで働かせてください』って。生憎その店では募集をしていなかったけれど、店主が別の店を紹介してくれて、その日のうちに住み込みの仕事が決まりました」

武藤 「アグレッシブですね・・・。その後『ぼんご』にはどうやって出会ったんですか?」

右近 「1974年に、友人の誘いで『ぼんご』に食事をしに行ったんです。当時、外食で白米が食べられるところといったら中華料理店がほとんどでしたから、出来立てのおにぎりを食べられるのが新鮮でした。結婚してお店に入り、仕事を任せられるようになって10年ぐらいは毎日1人でにぎっていました。生活のすべてが仕事中心になりましたね」

武藤 「めちゃくちゃ忙しそう・・・寝れてたんですか?」

右近 「そうね、若い頃は朝4時に起きて、仕込みをして、お店に立って、深夜1時くらいまで働いていましたね。当時の睡眠時間は3時間くらい。今でも4時間くらいしか寝ていませんよ。私、仕事のことしか考えていないんですもの。朝起きて、夜寝る前も、365日『ぼんご』のことね」

武藤 「僕はたくさん寝たい人間だから・・・マネできない(笑)」

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武藤 「一度聞いてみたかったのですが、由美子さんが一番好きなおにぎりは何ですか?」

右近 「お店のじゃなくてもいい?」

武藤 「もちろんです」

右近 「私の中でね、一番のおにぎりは、母が握ったものなんですよ。で、具材は筋子。ただ、昔は筋子もぜいたく品でね。だから、母が握った梅干しのおにぎりが一番だったかな」

武藤 「お母さんのおにぎりですか・・」

右近 「19歳で家出して上京した時、私すぐに母へ手紙を送っているんですね。その手紙を母がずっと保管してくれていて最近それを読んだんです。そうしたら、「私は元気でやっています。上京するときはおむすびを3個持ってきてください」と書いているんですね。忘れもしない3月に母が東京へ来てくれました。筋子のおにぎりを持ってね、その味が忘れられません」

武藤 「素敵なお話ですね」

右近 「今思うと、おにぎりをつくるのは、私の運命だったんじゃないかって感じるんです。その後、東京で夫に出会って、こうして46年間ずっと、おにぎりをつくっているわけですから」

武藤 「ですね。なんだか感慨深い。最後に、これからの抱負を教えてください」

右近 「とにかく好きなことをしたいです。とはいえ、私はおにぎりにしか興味がないから(笑)。例えば、おにぎりづくりを子供たちに教える料理教室を開いたりとか、こども食堂を開いたりとかね。今は希望しかありません」

武藤 「僕らも、由美子さんが仲間に加わってくれたから、より大塚の体温を上げる取組みや仕掛けをつくっていこう!と気持ちが高まっています。大塚で働くひと・暮らすひとが誇れるまちになるように、一緒に頑張っていきましょう。これから末永く、よろしくお願いします」

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編集協力/白井良邦



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