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変わらない約束。そして変わりながら生まれる光、希望。


子供の頃、いつまでも不変であることを信じて、またそうであることを願ったことがある。そして、そんな願いは叶うことなく、現実は裏切るものだということを叩きつけられる出来事があった。そのことで私の心の中の〝夢〟という小さな世界は崩れて壊れた。

幼くして〝絶望〟という言葉を知らないまま、絶望という感覚を味わうことになった。そういう経験をして、私は夢を持つことは自分を苦しめるものでしかないと幼いながらに思い、何処か冷めた子供だった時期がある。私にとってのエピソード・マイナスワンである。でもそれはまた別のお話。

そしてまた逆に、不変であるがゆえに絶望していたことから、どんな些細な小さなことでも何かが変わることで、その絶望から立ち直れるという希望が持てるようにもなった。
いわゆるエピソード・ゼロと言える出来事 ​────


私は生まれながらにして、母親の持つ〝忌わしいもの〟と言われ続けてきた遺伝を受け継いでいた。
小学二年のときにそれが原因で不登校にもなり、地元の大学附属病院で診断されたのが神経障害だった。専門医がそのように判断せざるを得ない時代でもあったわけなのだけれども。
今でこそその障害の程度は軽くはなった。それでもやはり、今でもある景色や色を意識して見ると、他人には聴こえない〝音〟として、心地よいとか気分が悪いとかに関係なく聴こえてしまう。

当時、私のそんな奇妙な体質を知っているのは、母親と母方の祖母とドクターの三人くらいだった。すごく仲良くしていた友達にバレるのが怖かったし、そのことで変なヤツだと決めつけられて嫌われることが恐ろしくも思えた。そもそも、学校のクラスの担任の先生に「聴こえない音が聴こえるなんて、お前は変な子供だ」と冷たく言われたことで学校というものが信じられなくなった。


不登校になって、初めて私の友達になってくれたのは市立図書館の司書さんだった。図書館にある大型版の美術書で『ムンクの叫び』を見たときに、強烈な音が頭の中で響いた。頭痛と吐き気で机に突っ伏していたときに、その司書さんが肩に優しく温かな手を添えて「大丈夫?」と小さく声を掛けてくれた。

優しくて、オットリしたような声で、今でいう天然っぽくて、何よりも色白で綺麗というか可愛いような、その半々な顔立ちで私の顔を覗き込んできた。
不思議だった。真っ黒でドロドロした気分だったのが一瞬にして晴れた感じだった。素直な気持ちにもなれて、自分の奇妙な体質のことやそのせいで学校へ行かなくなったことなど全部を打ち明けた。何故だろう?何故なのか、そんな気持ちにさせてくれる人だった。


学校へ行かなくなって、もうじき4か月が経とうとしていた秋のある晴れた日。友達の司書さんがピクニックに私を連れ出してくれた。今思うと、まったく赤の他人なのにそこまで親身になってくれるなんて、ホント変わった人だなって思う。でも心から信じることのできる大好きなオトナの人だった。ずっと今のまま変わらないでほしいと思ったものだった……ずっと年の離れた友達のままで……と。

私はその司書さんの惜しむことなく与えてくれる優しい心と言葉によって、だんだんと自分という存在が嫌なものではなくなっていった。奇妙な体質であっても上手く付き合って、他人とも上手く距離を置くとかして関われそうだとも思えるようになった。
そして私はまた学校へ行くようになった。音視という神経障害は相変わらずではあるものの、世の中の見え方が少しずつ変わっていった。それだけでも私は成長できたし、変わることが出来た。

神経障害に縛られて生きていくなんてもう嫌だと強く思った。変われるものなら、私はもっと変わっていきたいとも思えた。忌わしいという気持ちは少し残ってはいるけれど、その音視であることを恐れることなく、もっと他人と関わっていこうと。


今も思い出す子供の頃の年の離れた優しい友達、
その司書さんの優しい声とその言葉 ​────

「変わらないだなんて諦めないで。怖がらなくていいんだよ。必ず変わってゆけるから、君は変わってゆけるから。そこからもっともっと希望が生まれてくるから。そうやって君は生きてゆくの。変わらないものなんてないんだから。でもね、変わらないものもあるの。それはね、私の大事な小さな友達……君と私の約束だよ」


年の離れた友達で大好きな司書さんとの未来の約束は、今も継続中なのです。

『書く習慣アプリのテーマ/変わらないものはない』より。

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