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指輪は食い込んでいない

母の結婚指輪は薬指に食い込んでいて、どうやって外すのかな、と度々、疑問を抱いた記憶がある。
テレビで指輪の外し方について紹介していて、石鹸やらタコ糸やらを使っているのを見る時いつも、母の手を想像していた事もそれを物語っている。

電車に乗っている時も然り。
結婚指輪ってそういうものだと思っていたし、母親という存在は肥えていくものだとも思っていた。
世の中に疑問を持つ事すらを知らない、幼い頃の刷り込み。

一昨年、私は再婚して指輪をする様になった。
目立つアクセサリーは私の青白くて骨張った骨格には似合わなくて、華奢なラインのピンクゴールドの指輪を買ってもらった。
一年過ぎた今でも、毎日その指輪と目が合う度にちょっとした優越感に浸れる。
結婚指輪としては決して高いものではないけれど、すれ違う人みんなに自慢したくなるくらい、この指輪は私に似合っている。

それが、クルクルと指を回る様になった。

同じく一昨年、腕時計が手首を回る様になって、痩せてしまったなあと少し落ち込んでいた。
それから腕時計が手首で止まる事はなく、今回は指輪の装飾のダイヤモンドが手のひら側にいる事が多くなった。

病気の進行を宣告されて、もうじき2年になる。

腹水や胸水に侵食される日々は、自分が太った様に錯覚するもので、本当はどんどん痩せているという事実に気が付かない。

月に2、3日ある、腹水と胸水が抜けた日の自分の痩せ具合にぎょっとする事すらある。

SNS社会の今、同世代の人たちを目にする機会は多い。
動く事すらできない日がある私には、体型や身体の事に対する投稿を見て、たいがいは参考にできないと思うのと同時に、職業柄か、市場調査感覚でコメントまで追う事が多々ある。そしてにわかに、次の人生は、ここにコメントできる様な道を歩みたいと願ってしまう。

指輪がふわりと浮く様になった。
おかげでお風呂上がりに美容液が指と指輪の間に入って、毎日ちょっとした煩わしさを感じる。
でも、浮いた所から裏が見えて、選んだ旦那さんの誕生石がキラリと光るのもまた私には嬉しい事なのだ。

育児をしていて、拒み続けても結局、私も母と同じ道を歩んでいるのだと懸念していた。
けれど多分、私は、そこから抜け出せたのではないかと思う。
だって、母の指輪は食い込んでいた。

そして今の私は、母の幸せを願っている。

それが、私にとって断ち切りの証拠だと感じるのだ。

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