藤田宜永が死んだ


宜永!俺を置いてくなよ!裕也さん、深水龍作さんに続いてお前まで……。言葉がない……。お前が学院時代の同人誌に書いた「ボードレール論」が出てきて、今度さんざいじった後に高く買ってもらうつもりだったのに……。

高校時代はクラスは別、大学では学部も別だったが妙に親近感を覚えあっていた藤田宜永が死んだ。

もう二十年ほど前になるか、高校時代の友人が「藤田の書いた本にお前がモデルらしい登場人物がいるぜ」と教えてくれご丁寧にもその本をくれた。新書版の若者向けの「書き捨て」という感じの本で、確かに自分がモデルだなと思えるところがあった。

そこで、新作のサイン会に内緒で出かけてその本を突き付けて「俺のこと書いたろ」と言ったら、苦笑しつつ「ちょっとな」と答えた、それが卒業後直接会った最初で最後だった。「鋼鉄の騎士」を書いた数年後だったかな。もっと褒めてやればよかった。

思い出した。多分、『明日なんて知らない ノーノーボーイ'69』だ。

 卒業後に会ったのもたった一度なら、大学時に会ったのもはっきり覚えているのは一度だけ。学部も違ったし、そのころの早稲田は年中バリスト(エスプレッソ入れる奴じゃない。バリケードストライキだ)かロックアウトで学生が大学に行くことがほとんどなかったから同じ学部で同じ授業を受けている仲間でもほとんど会うことがなかった。その時は大学本部の法学部脇でばったり会って立ち話だが小一時間話をした。あいつが中退してフランスへ行く前だった。高校時代は共通の友人がいたし、それほど多くなかった左傾高校生だったので比較的交流があった。同人誌も藤田からではなく同人だった共通の友人、たぶん「大秋」に買わされたんだと思う。もちろん、読んではいなかった。

脳みその端っこにしまってあった藤田の記憶がひょっこり出てきたのは「鋼鉄の騎士」が出版された直後だった。それも買ったのではない。勤務先近くの飯屋で食事をしていて何の気なしにテーブルの下の棚に手をやったら書店のカバーが掛かったこの本があったのだ。広辞苑の三分の二ほどの厚さの大部でカバーを取ってみたら藤田の著書だったのでそのまま失敬した。とんでも長い話だったがあまりの面白さに一気に読んでそれをきっかけにして片っ端から読み始めた。そこへ期せずして「勝手にモデル」情報が届いたのだ。

 サイン会の時もお互いに照れてぶっきらぼうに言葉を交わしただけで、電話番号もメアドも交換しなかった。いざとなったら出版社から連絡を取ってもらえると思ったからだ。結局そのままになってしまったが、それで良かったと思う。接点が少なかったので印象が深く残ったのだ。うちの家系は父母双方長生きの家系で事故以外で九十歳以下で死んだ者はいない。裕也さん、龍作さんは年上だが、藤田は同い年だ。これまでも年下に先に逝かれたが、今後は友人知人に残されて行くのだろう。生きているのが苦しいとは思わないが、長い間寂しさを覚えながら日々を送るんだろうなぁ……。

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