見出し画像

とりあえずの「映像作家」

「映像作家」、響きはカッコイイけど、何をするお仕事なのか想像がつかない…というのが、皆さんの素直はご感想ではないでしょうか?

一般的に「映像作家」と名乗っている方々は、「映像作家」と名乗ってはいるものの、あれ?「映像作家」というよりは「映画監督なんじゃない?」となったり、昔でいうところのビデオドラッグ的な、とにかくグチャグチャなアーティスティックな映像に特化していたりするVJ(ビデオジョッキー)に近いケースが多いようです。

私ももともとは映像制作会社勤務。3つほど制作会社を渡り歩き、1998年に独立。フリーランスになった当時は当たり前に「映像クリエイター」として活動をしてゆくつもりでした。しかしいざなって、制作会社勤務の時と同じような請負仕事ばかりで、フリーランスになった意味があるのか?と思うようになりました。

そして、自分で企画を立ち上げ、アマチュアミュージシャンのミュージックビデオを作ったり、ドキュメント番組を作って世の中に向けて発信してみたらどうか?という考えにたどり着いたわけです。

時代はまだまだアナログな時代。YouTubeも無ければ、映像編集の環境を揃えるも数千万円必要な時代です。フリーランスなので当然そんな機材は購入できません。しかし私は、3つの制作会社を渡り歩き、ディレクション、撮影、編集、録音、照明、といった一通りの技術を、それぞれ単体でも受注可能な程度に身に付けていて、お仕事のジャンルも、CMや企業ビデオ、民放バラエティ番組、個人の発表会の記録ビデオに至るまで、同業でもこれだけ多ジャンルに精通している方は珍しいくらい幅広く経験していたので、あと流行り方次第かなと。

まずは制作環境を整えなければいけないという事で、10万円でS-VHS-C(8mmビデオカメラの後の世代。VHSテープの手のひらサイズの小型ビデオテープ。スーパーVHSカセット)というフォーマットのハンディビデオカメラを購入しました。放送機器に比べると明らかに画質は落ちるけれども、プロがちゃんとした画角で撮影すれば、充分形になるのではないか?と考えました。当時はプロが民生機器で作品作りをするなんてことは誰もしておらず、業界的にも革命的だったと思います。

さあ、そして編集作業をどうするか?ですが、当時は一般人がパソコンで動画編集をするなんて時代ではなく、放送業界にようやく数千万円のパソコンを使って編集作業をする「ノンリニア」というものがお目見えした頃。もちろんそんなもの購入できませんから、じゃあどうするか?

当時は行政機関の第三セクター内に、映像編集室を作るのが流行っておりました。数百万円から数億円かけた映像編集室が、各市町村の第三セクター内に誕生。通常、映像の編集室というのは、1時間で2~10万円ほど費用がかかるものでしたが、これらの第三セクターの映像編集室は、丸1日で数千円程度。かなりお安く借りる事ができました。問題は、そのシステムの使い方を教えてくれる担当者が、どこの施設にもいないこと。ただ超分厚い取扱説明書がおいてあるだけ。当然借りる方がいらっしゃるわけもなく。

私はまず機材の使い方をマスターすべく、取扱説明書を読むためだけに、1週間ほど編集室をレンタルして、超分厚い取扱説明書を頭に叩き込みました。

撮影と編集の環境はこれで整いました。次は完成した作品をどうやってお客さまもしくは一般の方にお届けするのか?

企業さまのコンテンツやミュージックビデオ、ドキュメント記録作品などは、S-VHS(スーパーVHSというVHSの高画質ヴァージョンのフォーマット)テープに録画したものを納品。そして一般の方々へのお届けの仕方ですが、まだYouTubeが一般的になる前なので、友人が開設したインターネットテレビで放送していただくことになりました。YouTubeが世の中に広まりだしたのはずいぶん後のことです。

これで全ての環境が整いました。そして私は強く思うようになりました。請け負いのお仕事ばかりではなく、自分が社会に対して伝えたいことも作品にして発表してゆきたいと。

映像業界に長くいると、華やかな世界ではあるけれど、社会のいろんな側面を垣間見てしまう事も多々あって、現在の私の環境なら、頑張っている人、困っている人、助けが欲しい人などを取材し、世の中に発信することで、光をあててあげられるんじゃないか?と。

私個人の力なんてとってもちっぽけなものだけど、そういう存在を世の中に発信することで、一般の方々の目に止まり、チャンスが巡ってきたり、支援の手が差し伸べられたりすることもあるかもしれない。そんなキッカケになれたら…なんて思うようになりました。

なかでも私の活動として大きかったのは、インディーズミュージシャンを紹介してゆく番組「The Shadow's TV」(略称:カゲテレ)。ライブイベントを私が主催し、収録し編集し、ケーブルテレビで放送するというもの。ケーブルテレビさん各社に、主旨を説明し放送していただけるように、お願いしてまわりました。いまでこそYouTubeがありますが、当時はまだあまり一般的ではなかったし、公共の電波でパフォーマンスが放送されるという、インディーズミュージシャンの通常の活動としては、まずありえないことを実現させました。おかげさまで2003年から2014年までの約10年間、ケーブルテレビ8局10チャンネルと、複数のインターネットテレビ局で放送していただきました。ご協力いただいた関係者の皆さま、ありがとうございました。

また、まちおこしまちづくりの方面でも活動を始めており、「みんなの教科書」という企画で動いております。名所旧跡神社深くを紹介し、また地域で頑張っている方々や伝統芸能、伝統文化などをご紹介し、それが各地域のまちおこしまちづくりに役立ってゆけるようなコンテンツを目指します。

あとはちょっと番外編というか、私の社会に対するメッセージを現代アート作品にするという活動もしております。お気に召しますかどうか…

imagination1000

最後に、冒頭でお話しした「映像作家」に関してですが、皆さまいかがでしょう?これらの活動を総称すると、どんな肩書きがふさわしいのでしょう?「映像作家」よりも的確な表現があれば、採用させてください。

是非ぜひ。

読んでくださりありがとうございます。サポートいただいたものは映像動画コンテンツ制作費用として大事に使わせていただくと共に、昨年の心臓手術、今年の難病発覚と病院代もかさんでいるので、その足しにさせてください。