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第37回小説小説すばる新人賞に初応募した話(前編)

これは、いままでほどんど小説を書いたことのないわたしが、2024年3月31日締め切りの、小説すばる新人賞に応募した手記(前編)です。小説ってどう書くの? 状態の人間が、15万字程度の物語を仕上げるに至った経緯、ハウツー、反省点などを詰め込みました。長いですけれど、どうぞ、お読みください。


書くに至るゼロ字地点

小説家になりたかった子供時代

いまではすっかりご無沙汰だけど、もともと小説を読むのは好きだった。

子供の頃の私は、よく小説を読み、小説家になりたいと思う夢見がちな子供だった。小中学生の頃、ハリーポッターが大流行して、著者の方を「いいなあ、一攫千金」と思ったのがことの発端だったように思う(なんて不純な動機)。両親は、裕福ではないものの、わたしに買い与える本にだけはお金を惜しまない人だった。田舎に住んでいたこともあって、その他の娯楽は身近に一切ないものの、本だけは好きなものを自由に読める恵まれた環境だった。

当時は色々な小説を読んだし、小説の流行や、キテる作家などに詳しい自負があった。「詳しかった」と断言しないのは、世間との比較でそういっているのではなく、あくまで主観でしかなかったから。当時はいまほどSNSが普及していなくて、世間を把握する術がいまより乏しく、他者と自分を広く比較検討することはできなかった。でもまあ、わたしはいまでもSNSが苦手だから、仮にあったとて、それらを活用できなかっただろうけども。

読書は好きだったけど、読書感想文の類はほとんど書いたことがない。長年それをどうしてだろうと思っていたけど、いまとなっては、心の状態のせいだったのではないかと思っている。

自分の心と繋がっていないと、自分を表現することはできない。

これは、最近得た気付きのひとつで、結構的を射てると思うんだけど、どうでしょう? 自分の心と深く繋がってないと、自分が何を考えているかすら、分からないというか。

それはさておき、自分で小説を書き始めたのは、15歳くらいの頃だったと思う。それらは、いまにして思うと稚拙で小説の体を為して無かったけど、それでも自分では小説だと思っていた。その小説風のまとまりのない文章を小分けにして、ブログに投稿していた。特に反響は無かったけど、その行為自体が楽しかった気がする。でも、先にも書いた通り、ストーリーの組み立て方などのテクニック的な部分は全く出来ていなくて、またそういうテクニックを学ぶ行為は、オリジナリティを削ぐからだめだと盲目的に信じていた。だから、まともな小説を書き上げることはできず、なんとなくふわふわした文章を書いてはやめることを繰り返していた。

あとは、二次創作もやった。これは原作があるものをネタにするから、ストーリーを作れないわたしと相性が良かった。また、原作のファンの人が読んでくれるから反響がある点も嬉しく、個人サイトを自作し、サーチエンジンに登録するなどして活動した。ただ、いわゆる同人イベントなどには参加せず、自宅で楽しむ程度。それくらいのぬるさがちょうどよかった。

小説を忘れた20代。突然の初陣

20代になるとわたしは就職した。その途端に目の前に慌ただしく「現実」が迫って来て、わたしは一次創作、二次創作、そして「小説を読む」という行為をしなくなった。読書は相変わらず好きだったけど、読む対象は小説から、仕事で使う知識が書かれた専門書や、社会で役立つハウツー本などに変化した。要は、「役に立つ」ものに変化したというわけ。

でも、働き始めて数年が経ったときに突然、小説を文学賞に出してみようと決意したことがあった。その頃、仕事が自分に合ってないと感じて苦しんでいて、それが発端となって「小説家になって会社を辞めてやろう」という思いに駆り立てられた。いまにして思うと、現実逃避も甚だしいけど、当時のわたしはストレス過多の思考停止状態だったこともあって真剣だった。社会的に評価されるスキルや学歴はなかったから、転職などの他のオプションは一切思いつかなかった。そして、「これを書き終えたら会社を辞める」みたいな辛苦のマインドで、一作の長編小説を書いた。

6万字か7万字くらいのボリュームの話だったと思う。現代ファンタジーで主人公は高校生。応募した先は電撃大賞だった。当時は、涼宮ハルヒシリーズが流行った余波が世間に残っていたから、そういう方向性の作風や、電撃大賞に目が行ったんだと思う。わざわざ安いプリンターを買って印刷し、会社の昼休みにそれを郵便局に持って行った。都営新宿線のとある駅のすぐ近くにある、普段の生活とは無縁の、ごみごみした郵便局の様子をいまでも覚えている。出し終わった後の気持ちまでは覚えていないけど、その出来事で何かが吹っ切れたのか、そのあとしばらくその職場で働き続けた。

そんなわたしの初陣の結果は、当然ながら良いものでは無かった。
一次通過止まり。

いまはどうか分からないけど、当時の電撃大賞は一次通過をすると、読み手のフィードバックを貰えるようになっていて、それには「結末が尻切れトンボ」みたいなことが書かれていたように思う。要は、しっかり構成が練られてないということ。その点に関してなんの対策も講じていなかったから、まあ、妥当な結末って感じだな。その後にリベンジをするわけでもなく、再び気持ちを持ち直して会社員をすることで日々は過ぎ、小説家になりたいという想いは再び忘れ去られた。

そのとき心と繋がった。そして書き始めた

電撃大賞に応募してから、長い時間が過ぎた。何度か転職も経験して、すっかり一介の会社員として現実を生きるわたしが、なぜ今回再び筆をとるに至ったのか? きっかけは2つある。

1つ目は、「書く」という行為が期せずして習慣化したこと。

ここ数年、わたしは英語学習をしている。学生時代に英語を全くやらなかったから、そのつけが回って来たって感じかな。けれども、英語学習者ならご存じのとおり、語学力は一朝一夕で上達するものではなく、学習を始めた頃のわたしは途方に暮れていた。そこで、自分を追い込むために始めたのが、「外国人と交換日記」だった。

私が使ったサービスは「英会話のNEW」という会社のもので、150単語を上限とした文章を、週に最大3回やり取りできるというものだった。相手はネイティブかそれに準ずる語学力を持つ外国人で、こちらの書いた英文を添削してくれ、かつそれに英文でリアクションしてくれる。150単語は、感覚的には400字詰め原稿用紙1枚分くらいのささやかな量だけど、週に3回となるとそれなりの分量になる。それに、先生のリアクション文はもっと長いから、書くのも読むのもそれはもう大変。わたしは変に真面目なところがあるから、「週に3回」、「150単語」近く書くことを意識して頑張った。それが1年半続いた。

週に3回、同じ人と短文をやり取りし続けるには、それなりのネタ探しが必要になる。わたしは「次の英語日記には何を書こうかな」と頭の隅で考えながら、毎日を生きた。また、母国語以外で書くという行為は、不思議と自分に素直になれた。難しい言い回しを使えないし、表現は自然とストレートになる。普段の自分とは別の人格が書いている感覚にさえなって、気づくと私は、普段誰にも言わないような職場の愚痴や、自分の性格の嫌いなところ、腹が立った出来事などのネガティブな内容を書いていた。そして、それと同じくらい、ヒヤシンスの花が咲いたとか、たまたま買ったチーズが美味しかったとか、帰省して楽しかったことなどの、他愛ない幸せについて書いた。それを通じて、自分の心と繋がり始めた感覚があった。

このようにして「文章を書く」という習慣がついて、わたしはいままでの人生で長続きをした試しがない、普通の日記(日本語で自分が読む用に書く、一般的なやつね)にもトライした。これはいまでも辞めることなく一年ほど続いている。それを通じて、心との繋がりは強くなった。

書き始めるきっかけ2つ目は、「チャクラ」という概念に出会ったこと。これも先に書いた心の繋がりと関係してくる。

スピリチュアル系の話が嫌いな人からすると、うさん臭く感じるかもしれないけど、チャクラの概念はわたしにとって有益だった。これは、kaiさん(著書はこちら)という人が提唱している考え方で、平たく言うと人間の体にある7つのチャクラの具合によって、考えや言動が良い方向にも悪い方向にも変化するというもの。このkaiさんのチャクラの考え方で好きな点は、チャクラの整え方が現実的かつヘルシーであること。ぶっとんだスピリチュアル手法ではなく、食事やアロマ、ハーブティーなどで整えましょうという方針だった。

kaiさんの動画を見つつ、自分の言動の傾向を鑑み、わたしは自分に合った温かいハーブティーを飲むようになった。ハーブティーを飲むと心が落ち着いたし、もともと胃腸が弱いから、温かいものを飲む習慣ができたのも良かったと思う。ヨガも始めたし、腹巻で内臓を温めるようにもなった。そういう健康的な習慣を通じて徐々に、心身が整っていった感触があった。それが更に、心と繋がることに結び付いたように思う。

書く習慣ができた。
体の調子も良い。
そして、自分の心と繋がった。

そのときふと、わたしは思ったのだった。
「小説を書こう」と。
それが、十か月に及ぶ戦いの始まりだった。

モヤモヤしながら3万字

わたしは何を書けばよいのか?

とはいえ、何をどのように書けばよいか、皆目見当がつかなかった。過去にまともに完結させたことがあるのは、尻切れトンボと称された小説もどき1作のみなのだから。

そこで、わたしはハウツーを漁ることにした。10代の頃には「オリジナリティがうんぬん」とか理由をつけ、学習を一切してこなかったけど、さすがにこの歳になるとそれが愚かな考えだったと分かる。そこで2冊の本を読んだ。
 
シナリオ・センター式 物語のつくり方』 
「物語」の作りのつくり方入門 7つのレッスン
 
これらのハウツー本から有益なテクニックを学んだ(気になった方は読んでみてくださいね。面白いですよ)。

テクニックを得る中で浮かんだ疑問がある。
わたしが好きな本ってなんだろう?

『「物語」の作りのつくり方入門 7つのレッスン』の方に、自分の好きな作品からエッセンスを抽出すると良いと書かれていて、ふとそう思った。学生時代にたくさんの本を読んだけど、記録をつけていないから、ほとんど内容は忘れてしまった。ただ、大人になってからもついつい読んでしまう好きなジャンルがあって、それは「日記」だった。
 
あたらしい東京日記』服部みれい
かなわない』植本一子
 
などなど。

これらは小説ではなく、エッセイの部類に入るけど、フィクションであれノンフィクションであれ、「役に立つ・立たない」という尺度を度外視して面白いと思った。大きな出来事が起きなくても、何を食べたとか、どんな時間を過ごしたとか、他人の日常を窺い知るのは楽しい。これは、現代人がSNSをついつい見てしまうのと同じ心理なのかも。そういえば、子供の頃に『あしながおじさん』が好きだったことも思い出した。これも、手紙という体裁を取ったフィクションではあるけども、内容的には日記に近いところがある。だから、私も日記のような物語を書いてみようと思った。

どのようにプロットを作るか?

作風が決まったら、次はプロット作成に入る。
ハウツー本を頼りに、不慣れな作業を試みた。

二次創作の経験から、自分が無理なく書けるひとまとまりが、だいたい5000文字(10分で読み終わるくらいのボリューム。この記事もそう)だということは分かっていた。そして、長編小説というものはひとつ10万字程度だということも、文学賞情報によって分かっていたから、5000文字×20章の構成にしようと決めた。そして、その中で起承転結を作ることにした。最初の数章で「起」、15章までを「承」、残りで「転」「結」という塩梅(この時点ではどの文学賞に応募するかは決めていないから、10万字というのはいまにして思うと結構適当な目標だった)。

全20章の管理をどのようにやればいいんだろう? わたしは基本的に紙に文字を書かない人間だから、ノートに手書きするという選択肢はなかった。テキストファイルも目的に合っていないように感じる。そこで、私は仕事でよく使用する表計算シート、エクセルを使用することに決めた。各列に以下のタイトルをつけた。

B列:章ナンバー
C列:目標字数(5000)
D列:実績字数
E列:物語上の時期。何月とか
F列:登場人物
G列:章の概要
H列:具体的シーン・人物の行動。G列を少し詳しくした感じ
I列:H列の補足。これは記入してある章もあれば、無い章もある
 
このフォーマットに従って各章の情報を記入することで、見通しが良くなった。エクセルの機能を活かして起承転結ごとに行を色分けすることで、さらに見やすくなった。

しかし、後半の章に行けば行くほど、内容があやふやになる事案が発生。「何かしらのやり取り」とか、「ほろ苦い失敗」と書いてあって、それは何やねんという感じに。でも、いったんこの曖昧さを残したまま書き進めることにした。それにしても、エクセルってツールは万能だ。メモを取れるし、VBAでプログラミングもできるし、プロットだって書くこともできる。

このようなやり方で、まずは3万字ほど書いた。6章分だ。それくらいであれば、まあなんとか形にすることができた。その地点までは割としっかりしたプロットが作れていたし、逆にプロットなんてなくても、それくらいまでは書けるのではという量でもあった。

本当に大変なのはここからだった。

後編に続きます~


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