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表に出ている裏の世界

陰陽で1つの世界「全」が成り立つと考えた場合

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例えば男性が表立って社会に出ていると言う時その裏には必ず女性が存在していると言うことになる。

裏方、つまりこの社会を支えているのは女性だと言う話になり、そうなると実の所この世の影の支配者は女性であると言えるかもしれない。
だとしたら、もはやどちらが表だろうが裏だろうがあまり関係無いのではないか…とさえ思えてくる。

「負けるが勝ち」の本来の意味はコレかもしれない。

目に見える部分のみにフォーカスを当てると言う行為そのものが偏っているだけであり、女性(性)の抑圧、男性社会だと言われて久しい日本だが、実は表も裏も関係なく、単純にどちらが目立っていたか…どちらが目につきやすかったのか…と言うことだけだったのではないだろうか。。

それは現象世界、物質主義社会のフォーカスの特徴的な態度であり、少し見る角度を変えたらどちらも同じ様に存在していて、力関係は均等なのだと思う。
上から押したら下に移動した…それだけのこと。

逆に目に見えずらい分、女性(性)の方が扱いずらいのかもしれない。何故ならそれは表に出なかった自分の影でもあるから。

男性的=現象的、能動的、押し出すエネルギーと捉えた場合
女性的=精神的、受動的、吸収するエネルギーとも言うことができる。

肉体性別としての男性であれ女性であれ、私たちは女性から生まれ、生来的にも両方の側面を持っている。どちらかだけを生きる姿勢は非常に不自然でもあり、不可能だ。

もし、どちらかだけを生きている様に見えている場合、その反対側の側面は、表に出ているものと反比例して奥にしまわれる。しまわれるが無くなる訳では無い。
片方が出れば出る程、もう片方は奥に奥に行き、それを認識できなくなる。認識できないと言うことは、実はそれに支配されていると言うことでもある。認識できないものは、対象化できない。対象化できないものに人は振り回される。

どちらが表に出ようが裏に居ようが、それはある一定の方向から見た場合の話しでしかない。

全体と言う視点で見た場合、それはくるくると回転するだけであり、そのうちどちらが表面で裏なのかすら区別がつかなくなる日が来るかもしれない。

しつこいが"陰陽でこの世界は全"と捉えた場合にと言う話しだ

実際にインターネットが発達した今、TVと言う大衆化され表にいた媒体は今は主流から外れつつある。
また、追い討ちをかける様にコロナ化では表立って出勤し働く人の率も減って来ている。
在宅勤務では、恐らく今まで裏だとされて来た主婦の日常が夫や家族の目に晒され、今までのような完全なる裏ではなくなりつつあるかもしれない。

表舞台が実は裏舞台に展開する日が来るのか、又はそれぞれが半々になって行くのか。

最近話題のオリンピックのあの発言は、私にそんなこれからを想起させた。


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