コンテンツの”純度”に関する思い

この記事の内容は、各種コンテンツの作成者や、それを楽しんでいる方々の考えを否定するものではありません。

心狭くね?と言われればその通りです。

様々なコンテンツに触れる中で、コンテンツの”純度”に関して思うことがあります。

例えば、同人界隈では、「アンソロジー」「合同誌」が企画されることがよくありますよね。アンソロジーは商業でもありますが。
私個人は、それらをあまり買いません。好きな絵師がいても、スルーすることが多い。
それは”純度”によるものだと思います。
私は、「絵師の描いている作品/ジャンル」よりも、「絵師の絵」を見ています。「◯◯の作品書いてるから」「××のキャラ書いてるから」ではなく、絵師の絵柄etcが好きだから見ている。もちろん、見つけるきっかけ等はジャンルとかキャラだったりするわけですし、描いてるのが全く興味ない対象ならあまり興味が沸かないのも事実ですが……。私は絵師のオリキャラとか大好きです。そこには私の好きな絵師の世界が詰まっている。ノイズが無い。オリジナルが伸びづらいのは重々承知していますが、オリジナル、どんどん描いてほしいなぁ。
興味とか視野が狭いので、自身の興味の外の作品には全然興味がない。皆無とは言いませんが、かなり薄い。
なので、キャラとかカップリングとか作品に焦点があたっている合同企画には興味が薄いのだと思います。「興味ある少数の作品」が乗っていて割高なものに見えてしまう。
商業アンソロとかも買ってみたことが何回かありますが、やはりどうも合わない。ラノベのスピンオフとかもあんまり。私にとっては作者の作品だから楽しいわけで……。

最近だとVTuber界隈が熱いですよね。
人気のあるVは、どんどん大きくなっていく。
そして、大きくなると様々なコンテンツ展開によって、いろいろな人が関わってくるわけです。
新衣装だったり、3Dだったり、オリジナルソングだったり、フィギュアとかの各種グッズだったり、各種の広報だったり。クソデカ箱のVだと最初っからどっぷり関わってたりするわけですけれども。
そうすると、コンテンツの「純度」というか、「主導権」というかが薄れていく気がするんですね。
本人が心から楽しめているので、これは私のエゴでありワガママです。
新衣装とか3Dとかなら、「なんと、〇〇さん(モデラー)に作ってもらいました~!」とか定番ですよね。でも、その時のコンテンツの主導権ってどっちにあるのかな、ってなるわけです。自分が見て楽しんでいるのは『VTuberのXXX』であって、モデラーではないんです。もちろんモデラーの「作品/仕事」の一つであることは決して否定しませんし、彼/彼女の力でそれは完成されてお披露目できたわけです。しかし……消化しきれない気持ちがあります。自分の捉え方の問題かもしれませんけどね。
オリジナルソングの場合も、作曲家だったり作詞家だったりの作品ではありますが、主題は『VTuberのXXXのオリジナルソング』であって、それが最前面に出ていてほしい。素晴らしい仕事をしてくださって感謝していますが、それでも、前面には出てきてほしくない。言葉を選ばず直球で表現するなら「添え物」でいてほしい。
グッズならそのデザイナーとか、フィギュアの原型師とか。それらは『VTuberのXXX 』のコンテンツという面が第一にあってほしい。協力者の力なくしてコンテンツは出来上がらないしということは分かっていますが、それでも、その力は第二にあってほしい。
自我を持つ広報は元から嫌い。

「推しに大きくなってほしくない」と溢したことがありますが、それはこれに通じるのでしょう。
大きくなることは喜ばしいことです。
手のひらが大きくなれば、自分の欲しい物を掬えずに諦めることが少なくなるのでしょう。
腕が伸びれば、今まで見るだけしかできなかった様々なものに手が届くようになるのでしょう。
「やりたくても出来なかったこと」「夢」が叶っていく。
しかし……私の中ではどうしても、「”純度”が薄れるのなら、大きくなってほしくない。」と思ってしまうのです。




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