宗教の健全な役割
宗教と聞き、まず考えつくのはどんなイメージだろうか。
胡散臭い。やらせ感。教祖感。危ない感じ。事件が起こりそう。
など、一般的に「宗教」という言葉に現代の人々はあまり良い印象を抱かない。
しかし、昔の人々は宗教を生活の一部として扱うように当たり前に日常の中に組み込まれていた。
たとえば、日本では仏教が挙げられる。
日本では人が亡くなるとお葬式を上げ、なくなってしまった人のためにお経を上げ、最終的にはお仏壇に置かれ先祖代々手を合わせられ続けるという習慣などがそれに当てはまる。
このように北欧ではキリスト教、東南アジアではイスラム教、インドではヒンデゥー教など、それぞれの地域には昔からある特定の宗教が存在していることが多い。
では、なぜ昔から絶えずこの宗教という存在が残り続け、さらに人々を注目させ続けているのか。
色々な宗教があるため、体系的にまとめることはできないが、宗教の本質的なものだけを見ると自分は、
1、人々とのつながり(自分の所属するコミュニティ)を確保するため、
2、災害のような人間には制御することのできない自然的な脅威から人間を隔離するため、
3、自分の中に圧倒的な存在を置き、それにすがりつくため、
というような人々をある種ひとつの思想でまとめあげ、安定したコミュニティを作り上げるためのものであると考える。
まず1つ目の人々とのつながり(自分の所属するコミュニティ)を確保するためと言う理由には、人間の習性が現れている。
というのは、人間とはもともと狩猟時代には周りの危険(猛獣や自然災害)から身を守るため群れで行動を共にしていた。
その中でいざこざが起きてしまうとその集団はその自分たちとは違うなにかしらの思考、生活習慣、を持っている人を排除して自分たちを守ろうとする。
もしその中ではぐれてしまった人は死んでしまうことが確定している。
そのため、そのはぐれることを先祖代々恐れ続けた結果同じような思考や生活習慣を持っていると安心するという人間の本能のようなものとして定着したのである。
この本能を根本的に満たしてくれるというのが宗教の大きなひとつの役割である。
2つ目の災害のような人間には制御することの出来ない脅威から人間の不安を隔離するためという理由は、3つ目の理由にも大きく関わってくる信じるという概念があてはまってくる。
というのは、昔から自然災害のように予測不可能で起きてくるものを人はなぜ起きるのかが分からなかった。
この分からないという感情は怖さを生み出すため、自然災害などに対しての恐怖心を持つことになる。
この恐怖心から開放されるため、人間はその予測不可能なものへの一応の答えをもつ宗教に身を委ねたである。
3つ目の自分にとって圧倒的な存在にすがりつくというのがみなさんもよくご存知の「宗教」という言葉を説明するためのもっとも分かりやすい理由なのではないか。
端的に言うと、人々がその思想、その人など圧倒的な存在を心のどこかに置き、すがりつく対象を置くことで自分の身が守られるという安心感を得ることができるというものである。
この圧倒的なものにすがりつくという価値観によって、洗脳されたり、脅されたりというような事件が起こったことはもはやゆうまでも無い。
しかし、宗教の本質を見る限り、宗教とははかない人々の集積を周りの危険から守るための大切な役割であり、今までの歴史の本質的な大部分では、人々を思想という部分で支えてきた役割を担っている。
確かに現代の宗教の中にはある特定の人の利益を追求したものであることも多いが、宗教という言葉自体にはそのような個人の利益を追求する意味合いとは真逆の人々が自分の身と心の安全を確保できるという組織としての意味合いがある。
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