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自作詩をいくつか、そのはち。『タラント今日もぐばば』

以前とある投稿サイトにて書いた詩を三つほど、noteに投稿しようと思います。世の中への怒り、無常観、すこし重苦しい言葉を紡ぎます。


『タラント今日もぐばば』

蔓延る錆は侘び寂びとは違し。
足らんと、足らんと、足らんと、周りが言うたびに僕はダメ人間になってゆく。
お前らに責があるのだ、お前らに責があるのだ。

がはは、にやにや、げへへ、ふふ、あらゆる笑い声が満ちるこの地下の街道は、賑やかゆえに少々僕には分が悪い。
だから僕はぐばば、と倒れてしまいそうだ。
あらゆる無難に適応した種族なら、無理を強いるのではない。どうせ絶滅する種族なのだから。
縛られたものが多すぎるからと泣くがいい。それで何も変わらないことを承知するに早いに越したことなし。

人生を読んだフリした成功人も所詮人生を予言などできやしない。何が起きるか分かってたらいえないことしかないじゃないか。
いつも通りなどと、風の向きも、人の顔も、雲の流れも違うというのに、おっしゃる僕らようは見方なのよ。瞳変わらなきゃ、何も変わらないな、分かったんだ、分かったんだ。
ようやく知り得たこの事実は早く新聞にしてしまおう、そう新聞社に持ち込んだら揉み消され、僕はなぜか十字架にくくりつけられている。なぜ、こんな終わりで。


『ほんとーあんたってばワガママね』

君には分からないだろう。
そう言うと、分かった気になるなと責められた。

どうせ君は正論で、僕は口喧嘩にも勝てぬ愚か者よ。開き直ることもできず、負け続けたとき、どうしてこの気持ちを理解できるだろうか。
夜を明かし誰を待つわけでもなく、夢の中で幸せを願うそんな詩人の気持ちなど分からないだろう。

なのに僕はそれを説明したがる。言葉にしたがる。また意味分かんない羅列書いてるよー。
ほんとーあんたってば。
言い返したくなる。言い返したくなる。
誰が責める権利があるだろうか、しかし、それまで説いてしまうと僕も相手を責められなくなり癪なので触れないでおこう。

ここからなんていうかわかるよ、幸せがどうとか、意味がどうとか言うんだろう。あー、我ながら愚かだね。
人の範疇を超えるものがイデアであり気持ちならば、それを人如きが言葉にできるはずもない。だけどそれを悟って語る僕は少し上だろうか。上も下もないだろうにまたこう仰る、強いて言えば天か地かの話だろう。
ほんとーあんたってばワガママ。


『万物に、教えを!!』

すべてよ君に聞きなさい。
あらゆることは始まりに過ぎなくて、壮大な終わりなのです。

この言葉を理解できないならそれでもいい、世界とは都合良くはできてない。
小さなメカニズムが心を動かしたとある少年の話をしよう。

彼はアジアの端っこの、まあ一つの村に住んでいたのだけれど、ある日単純作業というものに飽きてしまった。そしてこのままではそれで一生を終えることに気付いてしまったのである。
しかし彼の大切な人たちに必死に説得しても、まるで彼がとち狂ったような言い回しをする。当たり前じゃないか、当たり前じゃないか。
この世に当たり前なんてないのに、みんなそう言って平然に笑うのだ。
もう嫌だ、そう村から出た彼は、さぞ村のみんなから軽蔑されたであろう。

しかし、彼は誰よりも働き、誰よりも働かせた。欲しいものは山ほど掴み、何でも順風満帆に感じたのだ。これこそが変わるということ、これこそが歯車から抜け出すということ。

それでもだ、彼はときどき故郷を思い出す、そして涙する。
人の心はいつでも矛盾と抱えきれない悲しさを背負うのだ。

ありふれた少女が散歩していると、偶然神様が現れたので、どんな願い事も一つ許してくれると譲歩してくれたらしい。
彼女は何を願ったろう、僕はそこまでしてその結末を知りたくはない。ただ、人の望みは叶えば叶うだけ良いというわけにはあらず、何事も裏目に出る可能性もありうる、ことを噛み締めなきゃいけない。

ちなみに少女は、今は人々に信仰され、孤独になってしまった。

そこに商売で通りかかったある少年と知り合い、お互いに世界の儚さを知ってるものだから、思わず駆け落ちしてしまったのだが、信仰してくれた人々はどうなったろう。それを彼女は考えないようにしてた。

人生は繰り返しと述べる教えがあるように、あらゆることは始まりに過ぎなくて、終わりがあるのも万物に過ぎなくて。

今日も君に聞こう。
人生とは、転がる岩が浮かび上がるが如し。

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