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「不憫さが面白い・可愛い」から虐待やイジメに繋がっていく

小学生くらいの息子が、フォートナイトというゲームで遊んでいる最中に、親がわざと電源を落としてからかっている動画がTikTokで上がっているらしい。
ツイッターでそれを知ったけど、そんな子供が可哀想な様子を見たくはないので該当の動画自体は見てない。
ただ、コメントを見ている限りは子供はかなり嫌がって怒ってたみたいで、そりゃそうだと思う。
私だって子供の時だろうと、大人になった今だろうとわざとゲームを中断されたら絶対怒る。

実は私も子供の頃に、実際一度だけ父からされた事がある。
ただそれは、私が宿題をやらずに延々ゲームをしており、それに父が怒ってやった事なので完全に自業自得で、上に書いたケースとは全然違う。
とはいえ、当時それでかなりの勢いで親にキレ散らかした覚えがある。
かなり時間をかけてレベル上げを頑張ったのに、セーブをする前に切られてしまった為、苦労が全て水の泡になったからだ。
私はキレ散らかしながら、「ここまで頑張ったのになんてことしてくれたんだー!」と訴えたら、父は同じゲームをしていたので、事の重大さを理解し、同じ状態までにはできずとも、近いところまでやり直してくれた。
私が叱られて当然の事をしたはずなのに、却って父が罪悪感を感じる事になった謎の事件だったな。

と、私の話はここまでにして本題に入ります。

遊びやゲームだったとしても、それを故意に妨害をして相手が嫌がっている様子を楽しむのは立派なイジメです。
こんな事を日常的に続けていたら、いずれ子供は親を毛嫌いするようになるかもしれません。

なんでこんな事が起きるかを私なりに考えてみました。
本当に色々原因はあるので、コレというものはないとは思いますが、一つの要因として“不憫さ”というのは面白い・可愛いと思わせるからだと考えました。

うちにもまだ赤ちゃんの娘がいるのですが、ころんで頭をぶつけて泣いたり、眠くて泣いたり、私がトイレなんかで目の前からちょっとでも姿を消すと泣いたりと毎日大変です。
体もちっちゃいし、モノを掴んだりするのもうまくできないし、何が良くてダメなのかの分別もつかないので、何かとやらかします。
赤ちゃんなので至極当然なのですが。

誤解を恐れずに言うと、例えばころんで泣いちゃってるところを見ると、まずケガはないかなと心配にはなるんですが、同時に可愛いなとも思うのです。
赤ちゃんは色んな事が未熟で色んな事ができないし、うまくいきません。
成長過程であるその様子を“不憫”と形容するのもなんか違うとは思うのですが、そのうまくいかなくて泣いてたりする様子は、「やれやれ仕方ないなー」とか「私が守ってあげなきゃな」とかそんな気持ちにさせるのです。

あと、家の中で子供が触っちゃいけない電源コードとかを触ろうとしているところを、夫に抱き上げられて回収されている時、子供が不服そうな顔をしているのを見ると面白くて思わず笑ってしまいます。

テレビだって動物のハプニング映像特集とかよくやってますが、同じ事が言えるんじゃないかなって思います。
漫画やアニメのキャラクターなんかも同じです。
大人気のちいかわなんかその最たるものじゃないでしょうか?
※いきすぎて可哀想すぎたり、ホラーな回もしばしばありますが

これは完全に憶測ですが、このような不憫なものを愛らしいと思えたり、場合によっては面白いと思えたりするのって、特に子供を育てるには必要な本能なのかなって勝手に思ってます。
とにかく赤ちゃんや子供は毎日毎日すぐにうまくいかなくて泣くので、可愛いとか面白いとか思えないと、単純に心配によるストレスでメンタルやられます。

虐待やイジメはこの「不憫なものを可愛い・面白いと思う」本能の暴走のパターンもあるんじゃないかなと思います。
最初はちょっと不憫な様子を見て面白がってただけなのに、だんだんエスカレートして犯罪レベルにまで発展してしまう。

特に子供なんかは見た目も小さくて非力な存在なので、余計にそういう感覚が強くなっちゃうんだと思います。
だとしても普通に理性のある人間なら、わざと嫌がる事や傷つく事は絶対しないのです。

不憫な様子が可愛かったり、面白かったりする気持ちはわからなくもないですが、取り返しがつかなくなる前に、自制をしてほしいですね。

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