普通になりたかった

私は小さいころから普通になりたかった。
発達障害的な面でもそうだし環境的な面でもそうだった。
しかし願いは叶わず、心の中でコンプレックスが渦巻いている。
しかしながらまぁ年も取りそれなりに成長をし客観的に自身の心のコンプレックスを観察してみた。
薄々わかっていたことではあるが別に私は普通になりたいわけでなかったのだ。”普通”であることで享受できる精神的な優越、安心が欲しかっただけなのだ。
能力的には”普通”になることは不可能ではなかっただろう。
しかしながら自身の複雑なプライド、普通になるという自我を押し込めるそれ自体が耐えられなかったのだ。
この気づきを得てからはあまり劣等感に襲われることはなくなった。
しかしたまに自分が”彼ら”のように普通になることに違和感を覚えなかったらどうだったろうと夢想してしまう。
私と彼らの違い、それは彼らが劣っているわけでも私が劣っているわけでも無く恐らくは致命的に価値観が違うだけなのだ。
終わり


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