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『思い出の片隅』

エディブルフラワーを知っていますか?エディブルフラワーとは食用花のことで、味わいを楽しむものではなく装飾品として楽しむことを目的とされています。今回のお話は私がなんとなく入ったエディブルフラワー専門店でのなんとも不思議な体験です。

それはとある春の日のこと、最寄り駅のすぐ近くに薄水色の屋根の小さな家がいつの間にか建っていました。毎日のように通るその道に突如現れたものですから、私はその時にはもうすでに興味をそそられていましたがその日は他に用事があったので近くまで行くこともなく見送ることにしました。
また別の日、今度はドアの前まで近づいてみました。薄いピンク色のドアには『OPEN』の文字が掛けられていたので、何かお店屋さんなのかなと思いながらもその他に看板等も見当たらないので、中に入るのをためらっていました。その時、ドアが小さく開いて、中から腰の曲がった白髪のお婆さんがこちらを覗きます。
「お客さんですか?」
「あ、いや...まあ、はい。そうです。でも、なんのお店でしょうか?」
「とりあえず入りなさいな」
お婆さんに案内され、恐る恐る中に入ると、そこには私を取り囲むように四方に大きな棚があり、それ以外にはお婆さんが座る椅子しかありませんでした。私が呆然としていると、
「どこか開けてみたらいいよ」
と言われたので、私は目の前にあった棚の一番大きい戸を開けました。するとそこにはぎっしりと切り花が飾られていました。種類や色など関係なしに敷き詰められたそれは豪華で煌びやかで眩しいほど奇麗でした。
「お花屋さんですか?」
そう言いながら私は下の引き戸を開けるとそこにもたくさんの切り花で溢れていました。
「花屋も間違ってはいないけど、これは食べられる花だからね」
「エディブルフラワーですか?」
「よく知っているね。でもただのエディブルフラワーじゃない」
お婆さんは「よっこらせ」と椅子に腰かけました。
「一つ食べてごらんよ」
そう言われ、私は目の前にあったマリーゴールドからゆっくりと花びらを一枚手に取り、口に運びました。「シャク」と音を立てるさわやかな食感と、それと同時に柑橘系の甘くて酸味のある香りが弾けました。
「美味しい」
私がそう呟くとお婆さんは嬉しそうに口角を少しだけ上げました。
「とても不思議な感覚です。友達の結婚式に呼ばれたときとかに、食用花を使用したおしゃれなお料理も頂いたことはありますが、食べずに残すものだと思っていました。それってとても勿体ないことをしていたのですね」
「それは残念だけど違うよ。こうやっておいしく食べられる花は私の花だけさ」
お婆さんはまたさらに嬉しそうな顔をしてそう言いました。
「これも食べてみるかい?」
そう言って差し出されたのは、紫色のビオラでした。口に運び「シャク」と音を立てると、今度は「シュワ」と弾けとろけるように消えていきました。ブドウの様な高貴な甘い香りが広がります。
「これもとても美味しいです」
私がそう言うとお婆さんは立ち上がりいくつかの花を手に取ると、あの屋根の様な薄水色の紙でそれを包み、ドアの様な薄いピンク色のリボンで花束を作ってくれました。
「もっていきな」
「ありがとうございます。代金は?」
「いや、いいんだよ」
私が花束を受け取るとお婆さんは、部屋の奥からチョコレート色の小さなキャリーバックを出してきました。
「これ、あんたのだよ」
「私のですか…?中を見てもいいですか?」
私は、その子供サイズのキャリーケースを受け取りファスナーを開けてみましたが、中には何も入ってはいませんでした。
「見覚えもありませんし、私のではないと思うのですが」
「いいや、あんたのだよ。昔に置いて行ったのを私は覚えているんだよ」
「昔にも私はここに来たことがあるのですか?」
「そう。それは何度も」
私は不思議に思いながらもそのキャリーケースと花束を受け取ってお店を出ることにしました。
「ありがとうございました。また来ます」
そういうとお婆さんは嬉しそうな顔で小さく会釈をしてからドアを閉めました。

その日、うちへ帰り、早速紅茶を入れ、頂いた赤いバラの花びらを2枚とり紅茶に浮かべてみました。バラの香りがする贅沢な紅茶を飲み終わり、残った花びらを口に運びましたが、先ほどの様な不思議な食感はなく、普通の生花でした。他の花びらを口に運んでもやはり味わいのあるエディブルフラワーとは違いました。
「ああ、そうか。普通の花束を作ってくれたんだ」
少しだけがっかりしてしまいましたが、今回はお金も払っていないことですし、また今度買いに行こうと決めてその花束は花瓶に移しました。そしてもう一つ頂いていたキャリーケースをどうしようかと悩み、とりあえず部屋の端に片そうとそれを手に取ると、中からなにか音がしました。そっとファスナーを開けると、先ほどまでは空っぽだったのにも関わらず、そこには、ハンカチ、ペンケース、絵本、ぬいぐるみが、入っており、どれにも丁寧にひらがなで私の名前が書かれていました。
「確かに、私が小さい頃に無くした物だ」
あまりにも不思議な体験に、その日は眠りにつくまで呆然としてしまっていました。

翌日、すぐに私はあの店に向かいました。しかしその薄いピンク色のドアに『OPEN』の文字はなく変わりに小さな張り紙がありました。
『-閉店のお知らせ-目的を果たせたので、店を閉めます。ご愛顧をありがとうございました。』
そっとドア開けると、お婆さんの姿はもちろん、エディブルフラワーが溢れた棚もお婆さんの椅子も無くもぬけの殻でした。


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