人を見下す癖があるが一瞬楽になる

私には人を見下す癖がある。よって、この記事は読むに値しない可能性が高い。意識的に見下す時もあれば無意識で見下している時もある。

正確に言えば、見下さないと自我が保てないから見下している。プライドは高いのに実力が伴っていない可哀想な人間だからだ。

しかし、言葉に出さず自己処理出来るならそれでいい。自分が唯一無二で最高の存在だと盲信していればいい。他の人間などゴミだろう。自分の中では自分が"法律"なんだから。

世界は私を中心に回っている。当たり前の事だが、分かってない人が多い。分かるように説明するなら、貴方の世界は貴方中心で回っている。



本題。人を見下す癖があって悩んでる人が一定数居るはずだ。私も悩む事が多いが、一瞬楽になることがある。

マイナスをマイナスたらしめているのはプラスだ。マイナスではない。

「人を見下し、貶める才能がある」とは考えられないものか。それは果たしてマイナスか。

褒められたら誰だって嬉しいのかもしれない。だからプラスなモノなんだろう。

いや。違う。プラスだから褒めている。

悪口を言われたら誰だって悲しいのかもしれない。だからマイナスと定義されたんだろう。

いや。その行為がマイナスだからわざと悪口を言っている。

プラスだからやっている人達は、存在がプラスなのだろうか。マイナスな人間を更に貶める行為をしたのはどちらか?

人を見下す癖がある人間は、健全ではない過去があるだろう。

そういう人間達をマイナスと定義してマイナスたらしめているのは、一体どこの団体か。それらは本当に〇〇〇なのか?

もう一度。マイナスをマイナスたらしめているのは〇〇〇だ。マイナスではない。



「プラスもどきにプラスの皮を被せてあげられる才能がある」のがマイナスだ。この場合のマイナスは名ばかりで、代名詞みたいなもの。

マイナスが無くなればいいという計画性のない発言は無視していい。


この矛盾しかない記事を見てどう捉えるか。少なくとも異常や正常、プラスやマイナスの判断は出来るかもしれない。

プラス側として反省するか。プラス側として憤るか。憤りプラスと自覚するか。マイナス側として反省するか。マイナス側として胸を張るか。マイナス側として被害者ヅラを続けるか。


私は苦しいまま、上記の麻薬を摂取しながら生きる。

鬱とパニック障害を患っている者です。文才も語彙もないので読みやすいものでは無いですが、共感してくれる方が1人でもいると救われます。