受験期間と高校時代

長らく記事を書いていない間に新たにいろいろな病気が見えてきました。また違う記事で書きたいと思います。

更新は本当に気分でやっているので一年空くこともあれば、毎日更新することもあります。

数分前までまた「呟き」というタイトルで書こうと思ったのですがせっかく今日は違う媒体を使ってるので長くて面倒な高校時代を書いてしまいたい。


まず、凄く簡単に説明すると、受験ノイローゼ⇒成績アップ⇒低偏差値全日制高校に入学⇒またバドミントン部へ入部⇒勉強ノイローゼ⇒夏休み中盤に退部⇒二年に上がり、元不登校の子と仲良しになる⇒勉強しすぎてハイになる⇒二年の終わり、元不登校の子が再び不登校になり振り回されサボり気味に⇒三年にあがり、クラス替えの影響と鬱で不登校に⇒テスト期間のみハイになる⇒あと少しで卒業だから周りに言われまくりと体を引きずりながら登校する生活⇒ストレスからの拒食で42㎏から37㎏まで低下⇒自傷&自殺未遂の毎日で強制休校⇒通信に転学⇒色々あれど卒業

くそ長くなりました。簡単にした方ですがすみません。


まず受験ですね。凄く辛くて今でもよく覚えています。中学生の頃の私はやればできると謎の自信を持ちながら長らく勉強を怠っていました。そのせいで殆どの教科の基礎から曖昧で、勘で当たる国語と簡単な数学しか出来ませんでした。その中でも英語が本当に酷く、一人称や代名詞から怪しかったのです。その学力でも普通に入れる高校を選びました。しかし受験前ということで母が心配し個別塾に入れられました。寝る間も惜しんで全教科を二か月ほどで全てやり直しました。

異様に英語が出来ないことにコンプレックスを感じていて、その悔しさから毎日泣きながら授業を受けて、泣きながら帰り、泣きながら家の机にかじりついていました。何度やっても不正解。また不正解。また同じミス。自分に苛立った私は刃物を持ち腕を激しく切りつけました。血と涙を流しながら、ひたすら同系統の問題を解き続けました。たまに拳で机を何度も殴ります。机は徐々にへこみ、その時持っていた丸付けのボールペンを何本も壊しました。気付けば一人称も代名詞もちゃんと出来ていたのに自傷は治りませんでした。レベル1が出来たらレベル2で躓き泣きながら腕を切ります。その後はそれの繰り返しでした。

勿論普通に合格しました。しかし英語コンプレックスは治らず「英語だけはまだ塾で習いたい」と自ら志願しました。

高校での一度目の英語のテストでは90点。塾の先生もとても喜んで、私もやっと低い点数から抜け出せたとその時は喜びました。しかし、よく考えたら10点も落としているのです。一位でもありませんでした。部活も勉強も一生懸命できて達成感はあるのに、「結果が伴っていない。喜べる要素が一つもないじゃないか。」私はそう考えていました。

二度目のテストは95点。あぁ。5点上がっただけじゃないか。勿論一位じゃない。努力が足りない。

三度目のテストは100点。満点だ。確認するまでもなく一位だ。校内で。でも同じ100点の一位の存在を耳にした瞬間

























…は?






















まだ努力が足りない












足りない。足りない。足りない。足りない。足りない。足りない。足りない。足りない。足りない。足りない。足りない。足りない。足りない。足りない。足りない。足りない。足りない。足りない。足りない。足りない。足りない。足りない。足りない。足りない。足りない。足りない。足りない。足りない。足りない。足りない。足りない。足りない。足りない。足りない。足りない。足りない。足りない。足りない。足りない。足りない。足りない。足りない。足りない。足りない。足りない。足りない。足りない。足りない。足りない。足りない。足りない。足りない。足りない。足りない。足りない。足りない。足りない。足りない。足りない。足りない。足りない。足りない。足りない。足りない。足りない。足りない。足りない。足りない。足りない。足りない。足りない。足りない。足りない。足りない。足りない。足りない。足りない。足りない。足りない。足りない。足りない。足りない。足りない。足りない。足りない。足りない。足りない。足りない。足りない。足りない。足りない。足りない。足りない。足りない。足りない。足りない。足りない。足りない。足りない。足りない。足りない。足りない。足りない。足りない。足りない。足りない。足りない。足りない。足りない。足りない。足りない。足りない。足りない。足りない。足りない。足りない。足りない。足りない。足りない。足りない。足りない。足りない。足りない。足りない。足りない。足りない。足りない。足りない。足りない。足りない。足りない。足りない。足りない。足りない。足りない。足りない。足りない。足りない。足りない。足りない。足りない。足りない。足りない。足りない。足りない。足りない。足りない。足りない。足りない。足りない。足りない。足りない。足りない。足りない。足りない。足りない。足りない。足りない。足りない。足りない。足りない。足りない。足りない。足りない。足りない。足りない。足りない。足りない。足りない。足りない。足りない。足りない。足りない。足りない。足りない。足りない。足りない。足りない。足りない。足りない。足りない。足りない。足りない。足りない。足りない。足りない。足りない。足りない。足りない。足りない。足りない。足りない。足りない。足りない。足りない。足りない。足りない。足りない。足りない。足りない。足りない。足りない。足りない。足りない。足りない。足りない。足りない。足りない。足りない。足りない。足りない。足りない。足りない。足りない。足りない。足りない。足りない。足りない。足りない。足りない。足りない。足りない。足りない。足りない。足りない。足りない。足りない。足りない。足りない。足りない。足りない。足りない。足りない。足りない。足りない。足りない。足りない。足りない。足りない。足りない。足りない。足りない。足りない。足りない。足りない。足りない。足りない。足りない。足りない。足りない。足りない。足りない。足りない。足りない。足りない。足りない。足りない。足りない。足りない。足りない。足りない。足りない。足りない。足りない。足りない。足りない。足りない。足りない。足りない。足りない。足りない。足りない。足りない。足りない。足りない。足りない。足りない。足りない。足りない。足りない。足りない。足りない。足りない。足りない。足りない。足りない。足りない。足りない。足りない。足りない。足りない。足りない。足りない。足りない。足りない。足りない。足りない。足りない。足りない。足りない。

得点には満足ですが。死にたくなりました。部活の副顧問が英語の教師だったので、部活内でも私が一位だと噂になりました。満点の達成感、満足感、嬉しさ。それに勝る唯一ではない焦燥感、悲しみ、悔しさ、報われない虚しさ、苦しさ。

そこからは唯一の満点者、最高得点者を目指す生活に切り替わりました。


夏になり、夏休みの部活の予定表が配られました。休みの数を数えてみると、、、二日、、、、、?一か月の休みがあって二日。殆どが午前練習で、たまに大会ですが、その頃の体重は40を切っていましたし、過敏性腸症候群が治っておらず、部活内の人間関係もあまり良好ではなかった為、ストレスで部活中によく腹痛を起こしていました。真夏の体育館。バドミントンは少しの風で判定が変わる競技の為、窓とドアは閉め切り、激しい運動を休憩なし四時間。一番暑い時間帯に30分かけて自転車で帰宅。筋肉も体力も無い人間にはあまりにキツ過ぎました。

高校には男子バドミントン部と女子バドミントン部に分かれており、週一で男子バド部と合同練習をさせられていました。

その男子バド部と合宿があったのです。一週間。私は自分の家以外での食事が殆ど摂れません。合宿は一日中練習に加えて苦手な部員と常に行動を共にしなければなりません。そして追い打ちかのような拒食。猛暑。食べずに猛暑の中過酷な運動をやせ過ぎの人間がやったら、多分倒れるか下手をすれば死にます。

流石に休みたいと顧問に伝えました。やっぱり怒涛の質問攻め。当時私は病気を上手く把握できておらず、伝えたところで理解してくれた人は今まで一人もいなかったので真実は話しませんでした。案の定部員からはいじられ、怠け者判定を下されました。「下手なくせに合宿こないのかよ。」「休むのお前一人だよ。空気乱すなよ。」「死ね。」そんな幻聴が聞こえてきました。

バド部に入る時合宿があるのは知りませんでした。入った理由は部活には強制入部という校則と、元バド部ということで、担任に半ば強引に入れられてしまったわけです。因みに担任は英語教師であり、バド部副顧問。さっき出てきた人物です。

合宿終了後の疎外感が物凄かった。被害妄想もあるかもしれない。でも胃が痛かった。皆前より仲良くなってる。

夏休みの練習中、部活引退した先輩方が指導しに来てくださった。暑い中頑張ってる部員へのご褒美として、アイスを貰った。どうやらこの場で皆で談笑しながら食べるらしい。心臓が飛び出しそうなくらい煩く動き始めた。断れば無礼で、食べるのが遅くなれば溶けて迷惑をかけてしまう。食べるのを少し遅くしただけで先輩に「美味しくないのかな。」と思わせてしまうと思った。会話に上手く入りながら口に入れては舌をつけず食べてる仕草を繰り返す。頭の中は、アイスの甘い液でできた喉の不快感と食べなければならないプレッシャーで大パニックだった。いつトイレに逃げ込もうか、どうやって食べ切ろうか、もう吐きそうだ、苦しい、でも笑わなきゃ、話さなきゃ…何も知らない部員が「食べるの遅すぎでしょ、知覚過敏?」と笑いながら言った。「あぁ…いや…あはは…」そんな返ししか出来なくなるほど追い詰められた。数秒後、覚悟を決めた。パニックを起こす覚悟で食べてしまわなきゃ。口に残り全部突っ込み、パニックを起こしながら死ぬ気で飲み込んだ。その後の記憶は、すっぱり、何もない。

違う日の話、お腹を壊して練習に支障をきたすと判断した私は一度トイレに行かせてほしいと顧問に言った。嫌な顔をしながら承諾されたが、一分後「まだ出てこないの?皆に迷惑かけてる自覚ないの?」と叱られた。一度も休憩ないくせに、一分も許されないのか。確かに四人一組の練習だったので迷惑はかけた。でも、腹痛の予想なんて無理だよ。事前に対処出来ないよ。

疎外感、痩せすぎ痩せすぎ言われる毎日、食べられない朝食、休憩のない四時間、頻繁に起こる腹痛、ストレスで悪化していく病気、休みが少ない束縛感、閉め切った暑すぎる体育館、止まらない汗、飲めない水、キツ過ぎる練習内容。練習終わりに家に帰った時には、鍵を持っているのに家が開かないと錯乱して玄関を蹴り続けてた。「開けろ」「壊れろ」「中に入れろ」「何で開かないんだ」と、誰もいない家に叫び散らして。

いつか辞めようと思っていたものの、なんて言って辞めたらいいかわからない。でも限界だから。何も考えがないまま、限界のまま、また部活へ行き、辞めたいと伝えに。理由は咄嗟に思い付いた「勉強に集中したい」「バイトを始めたい」これにした。勉強は本当だが、バイトは高校卒業まで一度もしてない。正座させられ、一時間ほど引き止められたが妥協せず、なんとか辞めることができた。




続きはまた今度。

鬱とパニック障害を患っている者です。文才も語彙もないので読みやすいものでは無いですが、共感してくれる方が1人でもいると救われます。