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『スクリーン見てる時間』をへらしたい

「中毒」の定義が、「やめたいのに、やめられない」「減らしたいのに、減らせない」だとして、私は、スクリーン中毒である。スクリーンばっかり見てるのもう飽きたし、眼が痛いのに、パソコン見てる時間を減らせない。必要や必然があって見てる時間も、それなりにあるけれど、必要もないのに、ツイッターで人の呟きが流れていくのを見ていたり、取り立てて見る必要もない動画を、必要ないので、早送りで見たりしている時間を、ぜひ減らしたい。

ソーシャルメディアや動画を携帯で見ている人は多いのだろうが、私は携帯の使用時間を減らすために、電話にはツイッターやインスタグラムは入れていない。メールアプリも使用していない。最近、なるべく一日の半分位、電話の電源を切るようにしている。なので、ソーシャルメディア、メール、動画を全てパソコンで見ている。コロナ以後、外出がへり自宅にいる時間が長いので、パソコンのスクリーンばかり見るようになってしまった。もちろん、今も、パソコン見ながら、この文章を打っているわけだけれど、とりあえず、積極的に理由があって見ている時間は、とりあえず良しとしたい。問題は、消極的かつ不必要に画面を見ている時間である。

アルコールでも、麻薬でも、砂糖でも、いくら大量摂取していても、本人が楽しいと思っており、それで良いなら、苦しみのもとにはならない(周りは迷惑したりするが)。けれど、「やめたい(減らしたい)」と思っていて、努力するのに、なかなか達成できない時、人はコントロール不能の中毒状態で苦しむ。

だいたいにおいて、中毒状態から抜けたいと思って苦しいんでいる人は、それで困ることがあるので、やめたいと思っているものである。お飲み過ぎで、肝臓が悪くなるとか、麻薬でオーバードーズするとか、砂糖ばっかりで糖尿になるとか健康上のこともそうだけれど、「二日酔いで、仕事に遅刻ばかりする」とか「家族が文句を言う」とか、「罪悪感をもつ」とかもそう。

私が、「スクリーン時間を減らしたい」と言うのは、スクリーンばっかり見てることに、色々、ダウンサイドがあるからである。まず、時間の無駄。仕事や作業してるわけでもないのに、画面を見ているけれど、リラックスできるわけでもない。だったら、他のことして過ごしたい。あと、冒頭でも言ったけれど、眼が痛くなる。これがあるからには、リラックスタイムするためにパソコン見るというのは、私の場合ありえない。だったら、「ブルーライトを遮断するメガネでも買ったらどうですか」という人がいるかもしれないけれど、そんなメガネなら、すでに持っている。

あと、これは、私がインターネットが出てくる以前の時代を知っているからわかるのだけれど、ネットを見る時間の増加とともに、ネット以外のものに集中できる時間が短くなった。私は、子供の頃から、本を読むのが好きで、何時間でも読書して過ごしていたけれど、今など、20分以上続けて紙の本読むのが、どういうわけか出来ない。本だけではない。絵を描いたりするのも、確か3−4年くらい前は、数時間以上連続してできたのに、今など20分から30分しては休みと称して、必要もないのに、パソコンでSNSなど見ている。

というわけで、パソコンのスクリーン時間を減らそうと、努力中で、色々方法も考えてみている。

そのあたり、また、続きを書いてみたい。


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