方舟作りについて
コミュニティーを作ることは、方舟を作ることと、少し前にどこかで読んだ。方向性の同じ仲間を見つけて、お互い助け合おう。そういう試みは、あちこちで起こっている。
こういう話が出るのは、今の世界にいると、方舟が必要な雰囲気があって、かつての安住の夢は、まぼろし、だったにしても、それすら、消えちゃった感じがしている人たちが、増えているからだろう。
けれど、案外、今回は、方舟は、一人一隻になるのかもしれない、と思う。
愛する人や、友人、家族、もしかしたら、子供ですら一緒の舟に、のって行けることはできず、一人一人で漕ぎ出す。
今、それぞれの人が持つ、価値観やら展望の方向が、細かく分かれ、そして、それぞれ、大きく違って来ている。私が子供の頃や、大人になってからでも、インターネット以前には、だいたい同じテレビ番組を見て、同じ新聞を読んで、という感じであった。けれど、今は、全く違う種類の情報が、あちこちの媒体から、大量に出ている状態だ。私などは、この15年、ほとんどテレビを見てないし、ここ4、5年は、全く見ていない。何がテレビで報道されているかも知らない。映画もほとんど見ないので、テレビや映画をずっとみている人とは、考え方や価値観は違うだろうと想像する。
インターネットから、情報を得ていると言っても、どのサイトを見ているのか、情報の内容は、全く違う。
人は、自分にとって良いと思う情報、信じている種類の情報を、どんどん好んで取り入れているし、相手がどのような情報をどれ位、入れいてるかは、家族でも把握は、なかなか出来てないし、しないものだ。
現代の人は、外の景色や空気感など、実際身近な人と共有している空間を、携帯の画面やヘッドフォンで遮断して、ネットやテレビからの情報で、頭の中に世界を作っていることが多い。そして、情報も情報源も、大量にある。
同じ点を通る、少し角度の違う斜めの線を2本引くと、最初は少し離れているだけでも、どんどん先に行けば離れていく。そういう感じで、取り入れている情報の源や内容が違えば、運ばれる先は、全く違ったところになる。
最初は意見が同じような人も、その後の情報の種類が少しでも違っていれば、だんだん全然違う世界を、頭の中で作っていく事になる。そうやって、情報という波で、運ばれた先では、元は、同じところにいた人達とも、気がつけば、話が合わなくなっている。
そして、いつの間に、私たちは、こんなに離れてしまったのかと驚いたりする。
同時に複数の映画を上映してる映画館で、違うのを見て出てきた友達と、同じ映画を見たという前提で会話するのは無理である。この頃、友人や家族と話していても、あー違う映画見てるんだと感じることが多々ある。そして、「話が合わないのは、見てる映画が違うから」というと、怪訝な顔が返って来たりする。
これじゃ、一緒の船に乗ったら、いくら好きな相手でも喧嘩になるだろう。
ただ、一人一隻の方舟で進むとしても、並んで漕いで行くことはできるはず。それなら、近くで、あー進んでいるんだと、安心することも、できるだろう。もちろん、最初は近くにいても、その人達が、進んでいく方向が、私と同じかはわからないけれど。
そう、だから、私は、
自分がおさまる、小さな舟を作るのが、
今できる、ささやかなことだとおもう。
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