何者かになりたい若者について思うこと
YouTubeで興味深い動画があった。
何者かになりたい若者。
あぁ、僕も同じ。10年くらい”何者か”を追い続けている人生だ。
未だに5秒に1回くらい憂鬱になっている。もうウンザリである。
まだ完治していない「自分探し病」の患者として、自分探しの罠について思っていることを書いていきたい。
自己分析の罠
就活のときに「自己分析」をやることが多い。
質問に対して、5段階評価で判断し、自分の適性を把握するという例のアレである。
おすすめの職業も紹介され、「あーこの職業が向いてるんだー」
と、納得したようなしていないような複雑な気持ちになる。
私見だが、自己分析で自分の職業をパッと決められる人はかなり少数派だと思う。それはなぜか。
自分の決断に自信が持てない
例えば、Webデザイナーが向いてます!と判定されたとして、素直に
「私はWebデザイナーが向いてるんだ!」
と胸を張れるだろうか。
きっと自分の決断に自信が持てないはずだ。
自己分析した後、別人のように自信を持つようになることはまずないだろう。
判定された職業が天職であることを信じたい。
でも、やったこともないのに判断できるはずがない。
先人の経験を疑似体験しようと、Webデザイナーの本を読み漁っていくうちにどんどん自信がなくなっていく。そんな経験はないだろうか。
僕の経験上だが、具体的な行動に移さない限り、いつまでも自信はつかない。
行動して他人に評価されて、初めて自信になることが多かった。
経済的に大丈夫なのか
向いていると言われた職業が芸術家とだったとして、迷いなく芸術家の道にいけるかというと、かなり覚悟が必要だろう。
一般的なイメージとして、芸術家で食っていくのは大変だ。
自分の芸術的センスに相当な自信があるなら話は別だが、多くの人は別の道
も考えてリスクヘッジするか、諦めると思う。
このように、
自分がやりたいと思った仕事が見つかるものの、それで食っていけるかどうか判断できず、踏みとどまってしまうというケースも多い。
僕はこのパターンがとても多かった。
絵で食っていきたいと思ったこともあった。
本業の傍らで練習し、徐々に絵画の仕事にスライドしていけたら…
と考えていたのだが、練習した結果が報われるとは限らないという不安が常につきまとった。そもそも成功するまで努力する覚悟がなかった。
周りの同級生と経済的な比較をしてしまって、自分に嘘をついたこともあった。
困らないくらいには稼げるけど、面白くない仕事を選んでしまうこともたくさんあった。
だいたいの社会人は、そうやって仕事を選んでいる。
そうならないように抗いたいと思う若者がいるのは当然だ。
どうすればいいのか
YUKIさんのラジオにヒントがあった。
特に聴いてほしい発言の時間と要約をまとめたので、ぜひ聴いてほしい。
17:00〜 自分の得意なところを数える
(周りの人が幸せそう、楽しそう。それに比べて自分は劣っていると考えてしまう。という声に対し)
18:30~ 自分の成長に興味を持つ
(周りの人のことが気になって人生を決断できないという悩みに対し)
38:00〜 自分がどうなりたいのか自問する
夜のルーティンの中で、
と声に出して自問している。
42:20~ ルーティンを全力でやる
YUKIさんの発言のポイント
全体的に共通しているのは
他人ではなく自分に焦点を当てている
というところだ。
自分を高めるのに忙しいから、他人を見ている暇がないのだ。
思うこと
他人を気にしている間は、自分のことを考えているようで考えていない。
つまり、自分の成長を止めている時間だと言える。
自己分析して、いきなり自分に自信を持たせることはなかなか難しい。
でも、少なくとも、他人と比較している時間があるなら、その時間を自分と向き合う時間にあてることはできる。
そして、向き合った時間でこなしたことをやり遂げた自分を誇り、自信にしていく。
自分を高めることを喜びにしていく。
そのための手段として、仕事を選んでいく。
自分の選んだ仕事が天職かなんて分からない。
経済的に安定するかも分からない。
どうせ考えても分からないなら、せめて自分の心が踊る方に歩き出すこと。
もっと自分に素直でいいんじゃないかと。
若い頃の自分にはそう伝えたいと思う。
自分の人生の主役は、自分なのだから。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?