見出し画像

何度でもやり直しができる社会をつくりたいという話


Xとnoteを比べてみて


Xとnoteを続けていて、民度の違いに驚いている。

字数の関係なのか、Xの方がネガティブなポストが目立つ。
長文を書くほどでもない悪口をサクッと言い切りたい。
短い方が不特定多数の人に刺さるだろうし自分も気持ちいい。
そんなところだろう。

実際、僕も気が滅入ったときなどはネガティブなポストをして気持ちが救われることもあるので、X自体を否定することはない。

一方、noteは悪口だけしか言わないようなアカウントは少ない。
長文で悪口を言うのが疲れるからだろうか。

noteのいろんな投稿を見ていてもう一つ気づいたことがある。

落ち込んだり、苛立っていたとしても、
Xほど尖っていなくて、どこか柔らかい記事が多いということだ。

Xの文字数制限を超えた文章の中で、ネガティブな自分と向き合い、内省したり鼓舞したりしながら、必死に人生をもがいている。
という人が多い印象があった。
ネガティブにきちんと向き合おうとしている人がたくさんいたのだ。

Xは外向きの力が強く、noteは内向きの力が強い。
どちらも自分の思いを発信する場所なのだが、Xは外に吐き出して共感を得ようとする。
noteは自分を見つめ、自分の中で答えを見つける。
それぞれちょっと人種が違うコミュニティなのだと、最近感じている。

もがきたい人生


Xでもnoteでも、人生がなかなか上手くいかなくて悶々としている人は多い。
人生の中でも特に、仕事、職業に悩みを抱える人が目立つ。

僕もそのうちの一人だ。
答えを見つけようと必死にもがいている。

充実した人生を送るには、お金が必要だと考えるだろう。
お金をもらうためには職業に就き仕事をしなければならない。
お金が目的ならどんな仕事をしてもいいのか、というとそうでもない。
どうせ仕事をするなら「自分にしかできない」「たくさんの人に必要とされる」仕事をしたい。
自己肯定感が高い状態を保ちたい。承認欲求を満たす仕事をしたい。

ただ、お金と自己肯定感、承認欲求をすべて満たす仕事はなかなか見つからない。
世の中の一般的な職業の中にないのなら、自分で作ればいい。起業だ。
でも自信がない。失敗したらどうしよう。
キャリアの汚点になったら、もう人生やり直せないのではないか。

自分の人生に傷がついたり、周りの目を気にするあまり、自分が納得できる仕事を探すことに億劫になってしまう。
今の日本は「あれでもない、これでもない」ができない、やりづらい社会になっている気がしてならない。
キャリアにおける失敗、チャレンジにあまり寛容ではない。

人生を早く決めた人が勝ち組


Xの投稿を見ていても、テレビを見ていても、早くから自分の道を決めている人が勝ち組だという風潮がある。

小さい頃から野球選手になることを夢見て、大リーグで活躍しないと勝ち組にはなれない。
野球選手を諦めた人は「諦めた」という経験=負け組と思い、その後ずっとその経験が人生の十字架になると思い込んでしまう。

世の中で注目される人はみんなその道一本で生きてきたように描かれる。
本人もあたかも迷いなく進んできたように語りがち。
成功を掴むまでの泥くさい失敗はいくらでも隠すことができる。

これらの印象操作が、日本人の自己肯定感の低さを助長しているのではないか?

子どもが心配


そうなると、自分の子どもが心配だ。

僕が長年苦しんでいるキャリア迷子に、自分の子どももなってしまうのではないか。

今の時代、何が仕事になるか分からないし、新しい職業もどんどん出てきている。
新しい職業に限って世間で注目を集め、多くの人を惹きつける。

これだけ多種多様な職業がある中で、トレンドに惑わされず、自分としっかり向き合って、納得できる選択をできるだろうか。

今僕が20歳くらいになって自分が納得いくように就職しろ!と言われても、全くもって自信がない。

そもそも仕事や職業を1つに絞ることが無理だ。
あれもやってみたい、これもやってみたいと思い、1つに絞れない。
でも1つに絞って就職しなければならない。

複数の仕事がしたいならフリーランスになればいいじゃん!と思う人もいるかもしれないが、何も実績がない20歳が独立しても、ただ無職になるだけ。

なので、1つに絞る作業を必死になってやらざるを得ない。
今の日本は転職回数が多いと傷になるらしいから、思い付きやお試しで転職などできない。
そんなライトな気持ちで転職されても受け入れ企業側は困るだろうし。

じゃあ学生の時にいっぱいバイトして社会経験詰めばいいじゃん!
と思ったりもしたが、青春時代を仕事に振るのは何だか味気ない人生になりそうで、それはそれで後悔しそう。

何度でもやり直しができる社会をつくる


結局、

『何度でもやり直しができる社会をつくる』

のが健全な気がする。

学生の時、考えることを強いられがちな「将来やりたいこと」。
これを考える年齢=レベルとしたら、
レベル18の自分とレベル30の自分が描く人生のイメージは全然違う。

むしろ人生経験を積んだレベル30の人の方がずっと自分のことを分かっていて、自分が納得いくイメージを持てているかもしれない。
レベルが低いうちに、運良く人生の師匠とも言うべき人との出会いがあるかもしれない。

どこで、どのタイミングで、自分が納得する答えを手に入れるのかは誰にも分からないのである。

自分が正解だと思う方に走って、ダメなら引き返す。
行けそうならガンガン進む。めっちゃ進んで行き止まりだったとしても、リセットして心機一転頑張る。

サンクコストを気にして、嫌でもこのまま進むといった選択をしなくてもいいような社会であってほしい。

仕事を一生懸命頑張って、給料も上がっていったけど、なんか違う。
他の仕事をやって自分を試したいけど、給料大幅に下がるからこのまま嫌でも続けよう。

こうして諦めて人生が終わっていくのはあまりに寂しい。
『何度でもやり直しができる社会』であるべきだと僕は思う。

『何度でもやり直しができる社会をつくる』ために、
僕の子どもが苦労しない世の中をつくるために、
僕ができることを、今後の人生を懸けて考えるときが来たような気がしている。
久しぶりに自分自身に興奮して、書店で本を10冊まとめ買いしてしまった。(妻と娘にちょっと怒られた)

やっと迷子を抜け出せるかもしれない。






この記事が参加している募集

#創作大賞2024

書いてみる

締切:

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?