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株式会社Irohakids設立#3〈幼稚園教諭2年目、特別支援に出会う〉

ぜひ#1から読んでいただきたい。

#1を書き終え、完全に前職場の愚痴じゃないか、と書きながら反省。しかしその経験があって、今がある、前職場の先生達も精一杯だった、ということで、様々な経験もすることもあったし、たくさんの出会いがあった。退職をして今は感謝しかない、ということを付け加えておこうと思う。


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2年目になってすぐ、驚くような事件が起こった。

というのも1年目の最後、主任の教員から「先生のクラスで手のかかる子、というか大変な子ってどの子かな?」と聞かれたのだ。その時は、良く分からず、「この子は泣くと止まらなくなって、落ち着くまでに時間がかかってしまいます、それにこの子はたまに指示が聞こえてないんじゃないかなと思う時があって・・・そしてこの子は偏食で食事にすごく時間がかかりますし、声をかけないといつまでも座っていたり・・・この子はご飯の時間になっても部屋に入れないことがほとんどです・・・そして・・・」

34名担任をしていたので、そのうち7名ほどのお子さんについてこの時話した、と記憶している。

このときの学年の子どもたちの人数が多くなりすぎてしまったこともあり、2クラスから3クラスへクラス替えをし、1クラス22、23名に編成し(やっと普通の幼稚園の人数になっ)た。

翌年、私は持ち上がりで昨年と同じ子どもたちの代の担任になることになった。そこで驚くべき事実が発覚、先日主任に話した7名がそっくり私のクラスにいるのである。

今なら継続支援の大切さは痛いほどわかる。ただ、この時は1年目で自身を全くなくし、自分の力不足も嫌というほどわかっていた。だから、ただ自信がなかった。この子たちを私一人で見られるのだろうか、と。

そして横の2クラスの担任は、10年目と6年目のベテランの先生たち。絶対私よりいい保育ができるだろう、子どもたちもその方がいいに決まってる。

そう主任と上司に訴えた、しかし、私の訴えは受け入れられるはずもなく1年が始まることとなった。何度も言うが園の文化は年功序列、”大変な子”は新人が持つ、大人の指示が通りやすい子は”上司”が受け持つ。


特別支援の勉強を始めて、これは全く逆だということが分かった。支援が必要な子ほど専門家が必要で、経験の教員が受け持つべきだと。そして、その研修の中で学校の教員をする先生達とお会いしたが、いくつかの都市、地域でも同一のことが起こっていて、”できない”とか”何か問題をおこした”教員程、支援校に移動になったり、支援級を持つことがあるらしい。

これはこの園だけでなく、全体的に特別支援の捉え方が間違っているところに問題があると感じた。この時2年目、では逆に特別支援の専門になってやろう、と思った。特別支援や発達障がいの研修があれば、東京都周辺ならどこでも行った。園から研修費と交通費は出してもらえたので、休日の時間を使ってでも勉強したいと思った。この園の、この業界の誰よりも勉強すれば、何か見えるものがあるのではないかと思い、勉強を始めた。

研修を受けていて、素晴らしい先生と出会った。その先生は大学教授をしていたが、発達障がいを持つ保護者や幼稚園、保育所など関わる教員に対して研修を行ったり、本を出版されている方だった。

「こうなりたい」と思った。

こうなるためには、どうしたらいいのか、そう考え始めた。この時、一つの結論が出た。とにかく影響力を持てるようになろう、と。

どうやったら影響力を持てるようになるのかは具体的ではなかったが、とりあえず、今は知識と経験を身に着けるべきだと、目の前の子どもたちと全力で向き合うことにした。

研修に行った後の保育は、本当に180度変わった。
困る、と思っていた子ども達の行動が全く困らなくなったのだ。
こんな魔法みたいなことあるのか?と思い、研修に行くことに自然に足が向いていった。行けば行くほど毎日の保育が楽になる。

研修で私が学んだことは次の記事で話していこうと思う。

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