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株式会社Irohakids設立#4〔特別支援の研修を受けると変わる子どもの見方〕

ぜひ#1から読んでいただきたい。

#4なのにまだ時系列にして2~3年しか進んでいないことにびっくり。7年分、果たして何話まで行くのか…。そして最後まで読んでくださる方はいるのか…。分からないけど、とりあえずやってみる、そうやって私は今まで来たので変わらず、とりあえず書いてみようと思う。


前回、幼稚園で働いていた私が押し付けるような形で、いわゆる”手のかかる子”を担任することになり、逆に特別支援を極めてやろうじゃないの!と気合が入り研修を受けまくる、という話をしてきた。

そこで具体的に研修を受けて、日々の保育がどうして楽になったのかというところを話していこうと思う。


①子どもたちを理解する、という目線

どうしても人間には主観というものがある。私から見て、どう見えるかという視点。教員⇔子どもでもそうである。(教員の私から見るとこの子が何をやりたいのか分からない…、なんで泣いているのか分からない。分からないなら分かろうとするしかない。その子と同じ目線に立って、状況を見てみる、この子が今現在までに味わったであろう事柄やそれによって感情はどう動いたのか、物的な状況証拠やご家族の話、全てを総合し見立てを立てる。とりあえずたくさん(いつも言うのは100パターンぐらい)この見立てを立てる。そして1つひとつ壁あてのように子どもに聞いていく。早い子だと2・3個めで、かかる子でも50~60個めぐらいで泣き止むタイミングが来る。

この100パターンの壁あてに必要なのが②知識量である。

この知識については、かなり深い。まず人体に対する知識から感覚過敏、感覚統合や乳幼児期の発達段階、何ができて何ができないのか、今この子は発達段階のどの段階にいるのか、これを正しい知識と経験の中で当てはめる。例えば感覚過敏という知識があれば、外に出たがらない子に対して「(もしかして眩しさに対する目の感覚過敏があるから外に出たくないのか?)」とか「(汗をかくのが嫌だからかな?)」など壁あて材料を更に増やすことができる。

これは感情にも通ずる部分でもある。主観として私は全く思わないが、もしかしたらこの子は靴を履くという行動に幼稚園に行く=お母さんと離れる、ということが結びついてしまって靴を履く行動自体が寂しい感情と結びついてしまっているのではないか、など。

感情を理解するには、まずこちら側が自分の感情についてしっかり理解していないといけない。これが大切な要素、③感情理解である。

人は無意識に、怒ったり寂しくなったり、不安に襲われたりする。そして無意識にそんな発言をしているときがある。これが無意識のうちでは気づけない、保育士として現場にいるときの、更には普段から自分の感情を細かく観察する。

そして子どもたちの行動で感情が揺れたとき、例えば水をこぼした時などに「もーコップはこっちにおいてっていったでしょ!」と言ったとき、「(あ、私今怒った)」と気が付くことが重要なのである。客観的に見たら、この言い方は”怒っている”のである。でも本人は多分気づかず感情露わに発言している。でも、子どもは”怒られた”と感じる。この細かい感情をまず自分自身で気が付くこと、これが子どもの感情を理解できる第1歩と言える。

そして最後の4つ目は④想像力

子どもは大人の数倍の想像力を持っている。大きくなったら仮面ライダーにもプリキュアにもポケモンにもなれるのだ。大人が無意識に「無理だ」とあきらめることを子どもたちは実現できると信じている。その感覚をもって世界を見るととても幸せ(だから子どもたちはみんな幸せそう)、その感覚に寄り添いこちらの脳みそを固定概念という枠からとって考える必要がある。

外に出るときは靴を履かなきゃいけない、というのはあくまでも固定概念の中の話であって、靴を履きたくないなら、別に履かなくても裸足でも外に出ることはできる、この靴が嫌なら、サンダルは?長靴は?牛乳パックで作った靴はどう?

(これについてはコチラの記事で詳しく解説しているのでこちらを見ていただきたい。)【それはどちらのこだわりですか?】


主に研修ではこの4つについて学び、子どもの行動に対して多角的に見ることができるようになったため、結果として保育が楽になったということである。要は、自分だけの考え方でどうにかしようとするのは無理があったのにそれをしようとしていたから、私も子どもたちも辛かったんだと思う。

『知識不足は罪である、知ろうとしないことは更に罪である』

とどこかの偉人が言ったように、道路交通法を知らなくても信号無視をすれば”違反”になる。子どもの感覚過敏を知らずに何かを強要すればそれは”虐待”にあたる。どちらも知らなかった、では済まされないのである。

資格を取るための学校での勉強は、それに過ぎない。現場に出てから並行して学ぶ、学びながら現場に立つことが本当の意味で必要だと思う。

だから、私も学び続ける、これは保育に限らず、私の知らないこと全てにおいて。栄養学や健康については実践をしながら研究に近い学びを実践中。(今もファスティング3日目でこれを書いている)最近だとタロット占いを勉強したい。笑 しかし、その時間が取れないのが歯がゆい。

私のように学び中毒になる必要はないが、ある一定の勉強量は確実に保育を楽にする。それがこの幼稚園勤務2年目以降学んだことである。


そして、時は経ち5年目になったとき、私の保育士人生は新しいフェーズに入る。なんと海外にでて保育士の経験を積むことになるのだ。

5年目、そこそこ保育士として経験を積んだ私がカナダ、バンクーバーで保育士をした話は次の記事で詳しく書いていこうと思う。

次の記事は→こちら

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