スピリチュアル的おもしろ父#3

高校を卒業しても応援団

父との思い出で欠かせないことがあります。

私は高校時代バレーボール部に所属していました。そこそこ強いチームで練習は厳しく、今でも夢に見るほどです。
それまで父は、スポーツは好きだと言う認識はありましたが、それよりもキャンプだったりお酒が好きな人だと思っていました。

私がバレーボール部に入り、遠征でたまに「車を出せる親御さんはいますか」と聞かれました。我が家はワゴン車で8人乗れたので、父は毎回車出しをしました。そうしているうちにハマったのでしょう。

練習試合は毎度見にきていて、昼は先生方とご飯を食べて…という生活になりました。

飲み明かす体育教官室での日々

びっくりするのはお正月の合宿では先生方と体育教官室で朝までお酒を酌み交わしていたことです。一つ下の代にも酒好きなお父さんがいて、そのお父さんと先生方と毎夜飲み明かしていたのです。
佐原や秩父、群馬までも父はついてきました。
お盆も正月も先生と体育教官室で過ごした父。

引退が寂しかったのは私ではなく父だったかもしれません。

引退後も娘の高校に出没

私が引退後もなぜか試合のたびにLINEで招待され、私のことを知らない後輩が元キャプテンのお父さんと、認識していたり他のチームの生徒から挨拶される始末でした。
おそらく2年か、3年は通っていたのではないでしょうか。私が大人になってからも新聞に小さく掲載される勝敗を父はいつも眺めていました。関東大会に後輩が出場したことも父から聞きました。
(女子校でしたけどね、不審者扱いされずよかったです)

時は流れ。

しかし時は流れ、その情熱は、サッカーに。

悪友とも言えるかつて体育教官室で飲み明かした「下の代のお父さん」と共に、サッカーサポーターへ転身。
今はサッカーを生き甲斐に生活する日々なのです。

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