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何者でもない私


たった1回の人生で何者にもなれない自分は
いつ終わっても同じではないか。
最近私の中で渦巻いている感覚だ。

ずっとカリスマになりたいと思っていた。
物心着いた時には箱の中で踊り歌うアイドルの真似事をしていたし、
小中学校では頭もよく、運動神経もよく、歌やリコーダーのテストではお手本として扱われ、美術や書道のコンクールでも入賞し、いわゆる模範生徒だった。
高校生の時は学校の周年式典で全校生徒の代表で指揮者をつとめた。
人を惹きつける能力はあったと思う。
今思えば馬鹿げた夢であるのに、
わたしがカリスマになりたいという度にバカにする人はいなかった。
誰もが絶対なれるよ!と言ってくれていた。
自分自身もそう信じていたし、そんな未来が確約していると思っていた。

わたしは負けることが嫌いだった。
失敗も嫌いだった。
できないことはやらない、
できることだけをやっていたらなんでも出来る人と思われた。
全知全能の神にでもなったかのようだった。
みんなが私の元に集まった。
それが心地よくもあり、煩わしくもあった。
いつしか私は本当の自分を見失った。

自分を見失ったと気づいた時に初めて辛くなった。
今までの自分が作り上げたものは
誰かのために、誰かが望んだから、
誰かの都合のいい仮面をつけた自分で
それはまた自分自身ではないのだ。
皆に好かれている自分も自分ではない。
自分が嫌いな自分だけが本当の自分で
心の底にいつまでも残り続けるのだ。
何者にもなれなかった自分が情けなかった。
だからこそ目標や大きな夢を口に出して言った。
ある程度のラインまでは全て叶えられたとは思う。
しかしカリスマにはなれなかった。
どこかではわかっていた。
自分にはなんの才能もないことを。
同世代の人たちが仕事で家庭で幸せを手にしている
わたしはこの数十年何をしていたのだろう。
この醜く悲しい感情を誰にぶつけることができようか。


全てに気づいてしまった今
私は何をすればいいのだろうか。
これから先何になれるというのだろうか。
仮面を付けることがやめられない自分に
幸せは待っているのだろうか。
誰かに愛される資格があるのだろうか。
この先ずっとこのままなら消費していく時間に意味はあるのだろうか。

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