因果の糸 超常現象あるいは怪物 ①

 わたしは今、不毛なことをしているのではないかしら。大谷紀乃はそう考えながら、タピオカミルクティーを啜りながら目の前の二人の熱弁を聞いていた。
 「ほんとさあ、有り得ないよね!設楽先輩、イケメンで頭いいのに、彼女あんなんだよ!」
 「まじほんとそう。お金払ったのかな」
 紀乃はそれを聞きながらえー、そうなんだー、やばいねーと返事をしつつ、タピオカを吸いあげることに苦心していた。話しながら内心、お金払って彼氏になってもらうって何、と思っていた。
 二人は甘いの追加してくる、と少し離れたところにあるキッチンカーの方に向かって行った。紀乃は荷物番ならぬ席番を買って出て、一人残ってミルクティーを味わっていた。
 「今どきの十五歳は怖いなあ。お金貰うってどういう考えじゃい。お前が耳年増なだけかと思うとったが、存外みんなそんなもんかえ」
 隣で男の声が聞こえてくる。優しい声だが、言葉使いは荒々しい。隣を見やれば、刑部が呆れた顔で頬杖をついていた。というか、最初からずっと紀乃の隣で二人の話を聞いていた。何せ幽霊である。この場で見えるのは多分紀乃だけだ。
 「なんか、聞き捨てならないディスりが聞こえてきたんですけど」
 手を口元に当てて小声で応酬する。いくら長い付き合いとはいえ、面と向かって耳年増とは、十五歳になったばかりの乙女に対して失礼極まりない。目をむいて抗議をした。
 「事実を言うて何が悪い。ほんまの事じゃろ」
 「いくら事実でも、言っていいことと悪いことがですね……!」
 「残念ながらわしの貧困なぼきゃぶらりーじゃお前のことは耳年増としか言いようがないわい。それより、乙宮の女というのは嫌われるのが世の常みたいじゃなあ」
 ちくしょう、この師匠に一生勝てる気がしない。紀乃は撃沈した。刑部の方は涼しい顔で女の嫉妬は怖いの、と嘯いている。無視して黙る作戦をとるも、聞こえとるくせに聞こえんふりするのは性格悪いんじゃないかえ、とつつかれる。八方塞がりである。
 「あー……十年前のわたしに忠告したい。白頭巾の幽霊に気をつけろって」
 「さだめじゃ、諦めい」
 渾身の嫌味すら不発に終わり、紀乃は頭を抱える他なかった。

 紀乃と刑部の出会いは、十年前に遡る。紀乃の母の三回忌の法事のため、近所の寺に親族が集まることになった。普段ならこういう場だと誰かしらが始まるまで遊んでくれるのだが、その暇をこの日は誰も持ち合わせていなかった。
 結果、紀乃は外に出て、ぷらぷらとまわりを歩くことにした。寺の庭にはいろんな樹木がうわっていた。丁度夏椿が見ごろの季節で、綺麗だなあ、と近寄った時だった。
 夏椿の奥に、大きな欅が植わっていた。その枝に、誰かが立っている。近寄ってみることにした。その誰かは、着物を着ていた。頭に白い頭巾をして、さらに鼻から下を布で覆っている。そのせいで年齢も顔も分からない。遠目なのと着物で体型が目立たないから、男女の区別も分からない。親族のだれかではないのは確かなのだが。
 「誰〜?」
 呼びかけられたその人は驚いた顔で、お前、わしが見えるんか、と返事をした。男の人の声だった。
 何も考えず、見えるよ〜と返事をして、さらに欅に近づいた。近づいた時にはその人はもう枝から降りていた。しゃがみこんで紀乃と目線を合わせると、一人でおるんか、と優しく声をかけてきた。
 「うん、お寺にみんなで来たけど、みんな忙しいんだって」
 「そうかえ。じゃあ、つまらんじゃろ。わしが相手してやろうか」
 「いいの!?」
 思えばここで逃げるか何かすべきだったんじゃないかと思う。本来、幼女に声掛けする成人男性は警察沙汰ものだ。しかし当時の紀乃は構ってもらえるのが嬉しくて、この人が何者なのかということは一切気にならなかった。お寺にいて、着物を着ているからお坊さんだと思っていた。着物の向こう側の景色が見えることに気づくまでは。
 「えっなんで見えるの!?」
 驚愕して叫ぶと、少し呆れたような顔をされた。目と眉しか見えなくとも、わかりやすいくらいに。
 「んー、いま気づいたんか……」
 さて、おちびは幽霊言う言葉はわかるかえ、と聞かれた。うん、と首を縦に振る。そうか、なら話が早いわ、と立ち上がった。
 「わしは幽霊じゃ。でも今起きたとこで、なーんもわからん。おちびが構って教えてくれるかい」
 「いいよー」
 二つ返事で了承し、そのまま遊んだ。何を遊んだかは忘却の果てだが、法事が始まる時間を過ぎても遊んでいたのは覚えている。最終的に木登りのコツを教えてもらうことになった。むろん、例の欅に登った。身体を気になるべく近づけ、一気に登るのではなく少しずつ登ること。ウロと呼ばれる木の穴のようなところをとっかかりにすると、なおよい。そうやって登って、太い枝のところまでたどり着いた。すでに指導役の幽霊は枝に座って待っていた。
 「気持ちいいじゃろ」
 寺の屋根や塀、その向こうにひまわり畑が見えた。正確に言えば、まだつぼみすらついていなかったが、植わっているのはひまわりだと分かる、特徴的な葉っぱをしていた。恐らくあと一か月もすれば花が開くだろう。
 「ねえねえ、お兄さんの名前教えて」
 お兄さんって年でもないんだがなあ、と苦笑しつつ教えてやる、と向き合われた時だった。
 「紀乃ー!返事しなさーい!」
 祖母の声が聞こえてきた。そしてここで、あ、まずい、ということに気づいた。すっかり時間を忘れていた。さて、降りないと、どうやって降りるんだっけ。考えながら足を動かしていたら、見事にバランスを崩して落ちた。悲鳴を上げる間もなく、地面が近づいた。
 「あー、驚いた。慌てて降りようとするからじゃ」
 気づいた時には、地面にいることにはいた。けれども特に痛いところはない。きょろきょろしていると、自分の下敷きになるように、幽霊がいた。正確に言うと、身体が透けているので、紀乃は地面に座り込んでいる格好になっている。助けてくれたのだろうか。
 「怪我は無いか」
 立てるか、と聞かれたものの、いわゆる腰が抜けたという状態になり、まともに立てそうになかった。それなら立てるまで座っとれ、じきに治るじゃろと言いながら、身体の位置を変えた。ちょうど、紀乃と向き合って座り込んだ形だ。
 「お前、わしの名前を聞いたな。わしの名前は――――――姓は大谷、諱は吉隆という。じゃが、人からは刑部と呼ばれとった。だからお前も刑部と呼べばええ」
 「刑部さんも大谷さんなの?わたし、紀乃、大谷紀乃!」
 そうして手を差し伸べた。握手を求めたのだ。意味は分かったらしい、刑部の方も優しく紀乃の手を取った。取れてしまった。あれ、と思ったが、すでに時は遅かった。皮手袋越しにほのかなぬくもりを感じたとき、きらりと二人の間で何かがきらめいた。その光を見て、紀乃は幼いながらこの人と自分は一生離れられない気がする、と思った。先に刑部の方があーあ、と声を上げた。
 「残念じゃなあ紀乃。これでお前とわしは一蓮托生よ」
 その時の刑部の表情は覚えていない。一応、まだ何とかなるかもしれん、住職にお化けに憑かれたって言ってこいと言われ、一応申告した。欅にいた幽霊さんに憑かれたみたいなの、と。しかし残念ながらその寺の住職からは真面目に取り合ってもらえなかった。話を後ろで聞いていた刑部が、この腐れ坊主が、と罵倒していたがそれも住職の耳には届いていなかったらしい。
 ならば、と大分にある寺で住職を務める曽祖父にも同じことを言った。こちらは真剣に取り合ったが、「悪さするわけじゃねえならじいじには祓えねえな」と笑って断ってきた。あまりにはっきり言われたので、じゃあしょうがないね、と紀乃は納得してしまった。逆に刑部の方がそれでいいのか、と困惑していたくらいである。
 「ひ孫がかわいくないんかこのジジイ」
 「そりゃ紀乃に悪霊がついたなら問答無用で祓うが、お前さん見たとこそうはなりそうにないからな。訳アリっぽいが」
 「そんなもん分からんじゃろう。憑いてるうちにこの子を蝕むものになるかもしれんじゃろうが」
 「悪霊になりそうなやつはなる前から分かる。お前さんはそうじゃない。俺はむしろ、お前さんが紀乃を悪いやつから守ってくれるんじゃねえかと期待してるんだよ」
 「坊主の癖に幽霊に期待すなよ……」
 「ねえねえひいじいちゃん、いちれんたくしょうって何?」
 二人の会話を聞きながら、刑部に言われた言葉の意味を曽祖父に問い質した。ちょうど刑部が頭を抱えて会話のラリーが途切れたので、そのすきに割り込んだのである。さすがに幼稚園児には一蓮托生、という言葉の意味を理解できなかった。
 「ちびに説明するのは難しいなァ。分かりやすくいや、死ぬまで一緒だってことだな」
 「それ、プロポーズみたいだね!」
 当時の紀乃は純真無垢な子供であった。テレビでみた愛の誓いの言葉と重ねてロマンチック、と目を輝かせてしまうような。ちなみに刑部の方は、顔をしかめて二人の会話を聞いていた。
 「言われりゃそうだな。やっぱり俺のひ孫よ、呑み込みがいいな」
 まあ困ったことがあればいつでも相談してくれりゃあいい、と言って曽祖父は大分へ帰っていった。どうなっとんじゃこの時代の坊主は、と刑部は終始毒づいていた。しかし諦めたのか、家路につくころには刑部は自分で言い出したんじゃもんな、と呟き、紀乃に向き合った。
 「改めてよろしゅうな、紀乃。お前が困っとるときは、わしが助けたる」
 指切り、と差し出された小指に己の小指を絡めた。きらりと二人の間で、また何かが光った。以来十年、刑部は悪霊化することも成仏することもなく、紀乃とともにある。困っている時は助けてやる、という約束もずっと守ってくれている。
 一蓮托生の意味は、善悪に関わらず最後までともに行動をすること。最後まで、とはどこまでを指すのかはわからない。けれどもお互い、どんなに短く見積っても、紀乃の寿命が尽きるまで離れることはないと確信を持っていた。

  ……ホンマにええのか。
 だってこのままじゃ、負けっぱなしだもの。
 勝ち負けの話と違うけどな。でも、危険なことはするなよ。
 ……はい、たぶん、しない、です。
 多分じゃ許さん。じゃあ、わしからも約束事じゃ。危険なことすな、無茶すんな。いざとなったら止めるでな。それが飲めんならなしじゃ。
 わかりました。じゃあ、指切り。
 今更じゃ、おまえとわしは一蓮托生言うたじゃろ。

 一蓮托生にもう一つ、期間限定の意味が加わった。仇討ちである。運命か、偶然か。ふたりの仇の名は同じだった。

 買い足しに行った二人がなかなか帰ってこないので、タピオカもミルクティーも綺麗にすすりきってしまった。紀乃自身は小食なので別に何かの追加はしなくてもいいのだが、微妙に暑い中待ちぼうけなのはすこしげんなりする。紀乃のことを忘れて二人で遊んでいるのではないだろうか。あと何分くらいしたらメッセ送ろうか、と考えていた時である。
 「しかし紀乃は人の悪口滅多に言わんもんな。それは立派なことだと思うよ。わしに向かって鬼だのイカだのは言うてもな」
 「それは褒めてるんです?」
 随分しみじみと刑部に言われたが、誉め言葉に聞こえなかった。特に最後の実際に紀乃が刑部に向かって言った悪口の羅列からすると、嫌味としか思えなかった。鬼はそのままだが、イカの由来は刑部の被っている白頭巾にある。遠目で見るとイカっぽいので悪口として言った次第である。
 なおどちらも言ったあとは頬を思い切り抓られ、阿保かお前、と倍返しを食らうのが常であった。刑部は紀乃に対してなら物理干渉が可能である。優しく頭や背をなでてもらったことの方が多いはずなのに、印象に残るのは折檻でやられる頬抓りだった。侮ることなかれ、これがかなり痛いのである。過去には本当に頬をちぎられるのではと思うくらい抓られた。挙句抓った本人は大福みたいによう伸びるわ、と言い出す始末である。
 紀乃が刑部に敬語を使うようになったのは、出会って五年たち、紀乃が十歳になってからだ。その時に紀乃が刑部に『弟子入り』したからである。元々刑部からはいろいろと教わってきたが、改めてこれからも、ということで申し出たのである。刑部の方は死んでから弟子ができるとはなあ、と苦笑していたが受け入れた。
 礼儀として敬語を使うことにしてるが、関係性自体に大きな変化はない。弟子入りしたからと言って呼び方は変えなかった。刑部から紀乃への悪口に「阿保弟子」が、紀乃から刑部への悪口に「鬼師匠」が加わったくらいである。
 「褒めとるよ、少なくとも人様に向かって金貰って妹背の仲をやっとるなんてことは言わんもん」
 「さすがに本人に向かって言ってないと思いますけど……」
 そう言いながら内心、言ってたらどうしようと紀乃はひやひやした。それとは別にさらりと妹背の仲という言葉を出せるあたり、やっぱり昔の人なんだな、と刑部に対して変なところで感心を覚えた。古典の授業でしか現代では聞く機会がない。
 「本人に言わんでもお前に陰口で伝えとるじゃろうが。聞いとるこっちが気分悪い」
 ああ、そっちか。吐き捨てる刑部の顔は、苦虫と渋茶をいっぺんに口に入れたような顔である。陰口としても下の下、と刑部は言いたいらしい。
 「それにしても遅いの、お前のこと忘れとるんじゃないかえ」
 それを合図にメッセージアプリを立ち上げ、連絡を取る。たぷたぷととりあえず混んでるの?とだけ送っておく。出方を待つ作戦であった。スマートフォンをテーブルの上に置き、返信を待つ。
 二人から聞こうとしているのは、乙宮姫子という人物についてである。紀乃はこの名前を、親友から伝えられた。検索すると、十二年前のおしろの会幹部逮捕劇を報じたニュースのアーカイブ記事に、行方をくらませた代表一家の娘の名前として、乙宮姫子(四歳)という記載があった。これらが本当に同一人物かどうかを確かめるためである。余程無い名前なので確定的だろうが、裏を取りたいと思うのは親の生業からくる性《さが》だろうか。
 顔の広そうな同級生に聞き込み回ったところ、隣町の中高一貫校の高等部一年生であることが分かった。年齢も一致する。紀乃の中で濃いグレーくらいになった。その人の話聞きたいんだけど、といってみたところ、じゃあ土曜日に会おう、と乙宮姫子が通う学校に所属するその子の友達連れで詳しい話を聞くことになった。
 乙宮姫子は悪目立ちするのか、水を向けた途端出るわ出るわの悪口であった。特に設楽先輩と彼女たちが呼ぶ人物と乙宮姫子が付き合っているという話は、信じがたいことであるようで、ひがみからかすさまじい罵りが飛び出した。刑部は紀乃以外には見えないことをいいことに隣でずっと話を聞いていた。最初はおー怖い、と苦笑しながら茶々を入れていたのが、だんだん渋い顔へ変化していくのを、紀乃は横目で見ながら聞いていた次第である。
 二人が戻ってくる前に、気になっていたことを聞くことにした。
 「そういえば、乙宮の女は嫌われるのが世の常って言ってましたよね。そんなに嫌われ者なんです?」
 「あの子ら設楽の名前出しとったじゃろ。そいつらもわしが生きとった頃からおる、乙宮の腰巾着よ。あの時の当代はそこそこ見れる顔の男じゃったけえ、侍女どもが黄色い声出しとったわ。その中にわしのお袋と妹もおって頭抱えたけどな」
 身近にもっと色男がおるというのにわかっとらん、というぼやきを交えつつ、それにしても彼氏とはずいぶん出世したな、と続けた。歩き巫女の腰巾着なら、実質そういう関係、刑部の言うところの妹背の仲のような気もするのだが、明確に主従の関係であったらしい。
 とはいえそもそも本当に彼氏彼女の関係かどうかも不明瞭だ。単によく一緒に行動しているだけかもしれない。歳の近い男と女が連れ添っていたら、カップルだと考えるのは、いつの時代でも変わらないだろう。
 「やっかみ交じりの話だから、どこまで本当かはわかりませんけどね」
 「現代で従僕なんぞ流行らんだろうし、多分合っとると思うよ。設楽の一族はきれいな言い方をすれば上昇志向が強かったからの」
 腰巾着の次は従僕である。完全に時代劇のワードだ。綺麗な言い方と言う表現と苦虫を噛み潰したような顔からすると、設楽一族というのはあまり評判のいい人達ではないようである。
 「上昇志向って……最終的に天下取りたいってことですか」
 「んー……究極言ってしまえばそういうことじゃろうが……そもそもが神輿は軽い方がいいという奴らじゃからのう。ま、それは乙宮に群がっとる奴らみんなそうじゃと思うとるけどな」
 「それ、みんな乙宮の力だけがほしくて、当主の人格というか、そういうのは求めてないってことです……?」
 「そうさな。何の力があるのかは知らんが、あいつらに群がるのは、その内にある力を欲しがる奴ら。力だけほしいなら、人形みたいに言うこと聞いてくれる奴の方が楽じゃけえね」
 恐る恐る言ったことをそのまま肯定された。それも想定以上に冷たい言葉で。
 神輿は軽い方がいい、人形みたいなののがいい。あまりに酷い言われようだ。乙宮姫子にうっかり同情しそうになる。
 「でも、なんであんなに悪目立ちするんでしょう」
 「そりゃあ、絶世の美女ならともかく、野暮ったい女にそこそこ見れる顔の男が傅いとるのは、事情を知らん女から見たら哀れなんじゃろ。だからやっかみで噂が立つ」
 あまりにド直球の暴言に、ミルクティーで甘くなったはずの口が一気に苦くなった気がした。諸々文句を言いたい。人のことを野暮ったいと言っている刑部は、普段は顔を隠しているが、自分で色男と言うだけあってなかなかの美形である。テレビに出てくる芸能人なんて目じゃないような。そのうえで彼は容姿で差別されるつらさも身に染みているはずなのだ。それなのにこの暴言。
 「あ、あの、お言葉ですけど、女性に対して容姿のことを言うのはとても失礼かと!?」
 「紀乃の半分でも愛嬌あったらもちっと違うんじゃろうけどなあ」
 「わたしに流れ弾が飛んだ……」
 悪口を言われた訳では無いので正確には違うのだろうが、何となく被弾した気持ちだった。そして続けざまに「お前、人のこと悪く言わんのは立派じゃけどホンマに野暮ったくて陰気臭い女、好かれるわけなかろうが。よう考え」とさらなる燃料を投下してくる。なんてこと言うんだ、と思ったが、悲しいことに刑部の言うことは掛け値なしの真理である。
 「そりゃあ、暗……根……陰気な人は避けられやすいですが〜!」
 「遠慮なんぞすな。どうせ敵じゃ」
 「だ、だいたい野暮ったいって見たことあるんですか~~!!刑部さんの代とは人が違うんですよ!」
 「ど阿呆、当たり前じゃ。さすがに会ったこともない女捕まえて野暮ったいとかいうほど失礼じゃないわい。名前と通っとる学校聞いたあと見に行ったに決まっとろうが」
 爆弾をかまされ、素で大きな声を上げそうになったのを何とか堪えた。
 「初耳ですが!?え、行ったんですか!?いつの間に!?」
 「そんなもんお前が学校頑張っとるときに決まっとろうが。学生ならよほどのことなきゃ学校ある日は学校におるじゃろうと思って教室覗きにいった。設楽の当代が女にきゃあきゃあ言われとるのもおんなしで自分が生き返ったかと思うたわ」
 「で、でも、おしろの会のと例の乙宮姫子さん?が同一人物かはさすがにわかんないですよねえ?」
 「あのなあ、のこのこ行くだけに見えるか。ついでに情報も取ったわ。おしろの会の娘で間違いない」
 「情報とったって何!?師匠一体何ができないんですかこのチート!」
 もはや声を抑えるのすら難しくなってきたところ、むに、と頬を摘ままれた。痛くはないが、ほんま大福餅じゃ、と言われるのは傷つく。人のことを大福呼ばわりしてくる刑部は、憎たらしいほどきれいな卵型の輪郭なのが余計にダメージである。ほぼ覆い布で見えないとはいえ。
 「ちゃーんというつもりじゃったけど、お前が人と話するというけえ、余計なこと言わんほうがいいと思って黙っとったんじゃ。あーあ、まさかわしのことそんな無礼な奴じゃと思うとったとはなあ。ほんまに失礼な弟子よ」
 ぱっと手を離され、こつん、と額のあたりに拳をあてられた。拳骨というにはあまりに優しいやり方である。ふっと優しく笑って、聞きたいか?と尋ねてくる。ここまで来て、聞かないという道は存在しない。お願いします、と紀乃は頭を下げた。
 けれどもそのタイミングで、返信が来た。内容は、悪いけど、こっちに来てほしい。交差点の角にある、カフェ。乙宮姫子がいる。
 文字を見て息をのんだ。刑部は「まあ、実際どんな女かは直接見に行った方がわかりいいでな」と特に気を悪くした様子もない。家に帰ったらいくらでも話したる、と肩を軽くたたかれた。容器をゴミ箱に放り込み、件のカフェに向かう。
 指示の通りに交差点に向かうと、二人が手を挙げてこっちこっち、と手招きしてくる。駆け寄っていくと、一人が店のテラス席を指さした。男女二人、向かい合って話している。
 「あの、眼鏡になっがい三つ編みの人だよ」
 そう言われて、その指されたものを見た瞬間、紀乃は比喩でなく全身の毛が逆立った。何、あれ。何だあれ。カチカチと奥歯が鳴る音がする。十月になってもまだ蒸し暑いなと思っていたのに、驚くほど寒い。思わずしゃがみこんでしまった。
 乙宮姫子だと指差された人物は、人の姿をしていなかった。正確には、紀乃の目には人の姿に映らなかったのだ。幼稚園のころ見た図鑑に載っていた、雪男の姿が近い。あれよりももっと毛むくじゃらだ。黒い毛がびっしり生えて、まず人どころか動物の姿にも見えない。さらにその周りを、何かどす黒い雲のようなものがぐるぐると周回している。
 どうしてあんなものを見てみんな平気なの、と紀乃は思った。けれどもそのあとすぐ、自分の目がおかしいのだと思い至った。霊体の刑部すら人間と認知したのに、なぜわたしの目には人に映らない。ぐるぐる考えていたら寒気は多少ましになった。
 「紀乃、どうした」
 刑部の声にどう答えるかと思って顔を上げた。その瞬間、鼻にすさまじい汚臭が突き抜けていった。この世のありとあらゆる臭いものを、一緒くたにしたのではないか。そう思うほどの強烈な臭い。
 おえ、とえずくのは必然だった。えずくだけならともかく、胃の中身が実際に出た。きゃあ、という悲鳴と女の子が倒れてる、という通りすがりのだれかの声、しっかりしろという刑部の声。それらを聞きながら、紀乃の視界は暗転した。


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