第3の目(岡目八目)④

首里城焼失から学ぶ事

10月31日(木)
深夜に突然出火し、あっという間に燃えてしまった。
この首里城は沖縄県民全員のアイディンティティの心のシンボルであった。

この事態に多くの県民は消失感を味あわされたのではないでしょうか?

しかし沖縄県民全員が辺野古と普天間基地に思いを寄せていただろうか。
普天間基地は世界で一番危険な飛行場基地であり、隣接する小学校の校庭には
2度にわたり、飛行中のヘリコプター機の部品が落下した。
幸いに生徒が校庭に出ていなかったため、被害は免れたが、現在もこの危険な状態に変わりはない。

日本政府はこの普天間基地を人質にして、
「この危険を排除するには移転先を辺野古にするしかないと決め付けた。」
そもそも辺野古は美しいジュゴンの生息する珊瑚礁の密生した豊かな海岸であった。
この海岸に臆面も無く土砂を投入し、米軍の為に新たな基地の滑走路を作る事に着手してしまった。

まさに正気の沙汰ではない。

この蛮行は継続され、今日に至っている。

問題の普天間基地はいったい何時になったら返還されるのか?
私が懸念を抱くのは、
この一連の政府の行為を沖縄県民でありながら容認する人達がいる事である。

太平洋戦争で貴方がたのご先祖は20万人もの犠牲者を出しながら必死にこの土地(島)を護ろうとした。このご先祖様を裏切る事になりませんか?

もちろん、沖縄県民全員が今後首里城の再建に全力を尽くす事は当然ですが、
同等に普天間基地と辺野古を奪回し、沖縄に本当の戦後を勝ち取るため、沖縄にある全ての米軍基地の撤退を促し、観光都市沖縄における再興を目指すべきだと思います。

沖縄に幸あれ!

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