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携帯がなくても。


わたしはとてつもなく機械音痴だ。
例えば携帯電話の機種変更のたびに、
データの移行などがうまくできるかなと思うし
全部使えなくなるかもしれないとさえ思う。笑

が、それで不安になっていたのは
もう何年か前までの話。

今はもう、
携帯がなくなっても、最悪手紙が書ける!
と思うようになっている。笑

数年前から、
大切な友人の住所だけは保管してある。
携帯に執着しなくてもいいように。

SNSへの執着などはもうとうにない。
(とうにと言ってもここ数年ほどか)

ある日突然携帯が壊れたり、
データが全て失われてしまっても
手紙や葉書が出せるように、
大切な友人だけは住所を保管してあるから、
携帯の中にあるものでなくなって欲しくないものは
唯一、猫さんの写真と動画だけ。


そんなことを思い出したのは
先日友人が
「携帯電話を機種変するのだけど、
LINEの引き継ぎとかちゃんとできるかな…
トークやアカウントが消えたら嫌だな」
と話していたとき。

その友人にわたしは、
「トークなんて消えたって大丈夫、
わたしとならまたこれから沢山話せばいいし、
もしも何も連絡を取る手段がなくなっても、
お互い住所は分かるから、
手紙や葉書は書けるよ!笑」
と話していた。

電話番号すら分からなくなっても、
それを手紙や葉書で知らせれば良い。


そして自分が、いつからそんなふうに
なったんだろうなぁと思い返していた。

数年前くらいだろうか。
SNSから適度に距離を取るようになった。
目的もなくダラダラとずーっとSNSなどを見て
携帯の画面をスクロールするだけの時間、
ただただ溶けてゆくだけの時間、
ああ、やっぱり無駄だよねぇって。
誰もが思うこと。


そして猫さんを引き取ってから、
何かのコラムだか記事だかで
猫を飼っている人に(猫が亡くなってから)
後悔していることをアンケートに取っていた。
大多数の方が、
「もっと一緒にいる時間を作ればよかった」
そう答えていた。

その時わたしはふと思った、
日々携帯を見ることに時間を溶かしていれば
わたしは猫さんとお別れするときに、

「ああ携帯なんて、SNSなんて見てないで、
猫さんを見ていれば良かったのに!!」

そう泣いて泣いて激しく後悔するだろう、と。

その時から、SNSなどから
距離を置こうと思うようになった。

もちろん携帯は毎日持っているし、
長い時間使いもするけれど、
例えばSNSでしか繋がっていなかったり
携帯電話がなければ連絡が取れない人がいるなら
それはそこまでだろう、それくらいに
思っている方がいいのだと思うようになった。
だからこそ、
大切な人とは携帯なんてものがなくても
連絡を取れるようにしておきたいと、
大切な友人の住所だけはメモを取った。

先日書いた記事の内容にも繋がるのだけれど


時間は有限どころか命そのものだと思っている。
わたしの、友人や猫さんの、
全ての時間が命そのものだ。

考えたくもないけれど、いつか猫さんと
お別れしなければならない日が来た時に
携帯やSNSなんて見てないで猫さんを見ていれば
なんていう後悔は絶対にしたくない。
何があってもしたくない。

自分の人生において、
生活において、なにが1番大切かなんて
みんなきっと深く考えなくたってわかってる。

大切なことに時間を使いたい。

無駄に溶かすだけの時間もいい。
そんな時間も好きだ。

だけどどうせ溶かしてしまうなら、
SNSや携帯の画面を眺めることではなく
疲れた週末にベッドから出ず
猫さんと一緒に惰眠を貪りたい。
猫さんと日向ぼっこしながらおやつを食べて、
ダラダラごろごろ怠惰に過ごして
気がついたら数時間経っていた、
友人とひたすらくだらない話をして、
とりとめもない会話を繰り返して、
気がついたら数時間も経っていた、

そんなふうにして、
優しく溶かしていきたい。


それでは今日はこの辺で。


最後まで読んでくださってありがとう。

また気が向いたら、来てくださいね。


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