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11冊目 『子どもと学校』

私が大学生のときに出会った、『子どもと学校』という本。
この中に、

「関心をもって見守る」

という項があります。

全体を通してとても勉強になったし、繰り返し読む程気に入ったのですが、この「関心をもって見守る」に書かれていることは特に共感した記憶があります。

今回改めてその部分を読んでみましたが、学生時代に私の中に湧き上がった感情がリアルに思い出されてきました。

「こういう教師になりたいな。」
「自分はこういう教師になる。」

確かに、そんな気持ちになったのです。

実際に現場に出てみると、決して余裕のある場面ばかりではなく声を張り上げたりやることの指示ばかり出すようなことも多かったように思いますが、でも、私の教師観みたいなものの中に、この「関心をもって見守る」という感覚はずっと残っていたようにも思います。

少し長くなりますが、その部分を引用します。

 手出しをせずに子どもたちを見守っていると、「うーん」と感心させられるようなことが起こったり、まったく思いがけないことに発展して、子どもってすごいもんだな、と感心させられたりする。子どもは大人が普通に思っているより、はるかに子ども同士でものごとを解決する力をもっているものである。
 「見守る」ことがいいと言っても、次のような場合はどうだろう。今までおとなしいと思っていた子が木に登り始める。元気になったのはいいとして、この子が落ちてけがをすると、教師の管理責任を問われることになる。どうするか、などと考える前に「やめなさい!」と、とめてしまう人も多いのではなかろうか。
 そのようなときに、せっかく今まで元気のなかった子が「腕だめし」をはじめたのだから、もう少しやらせてみよう。少しぐらいのけがなら大丈夫だろうとか、ともかく近くにいて、あまりに危険なときには止めよう、とか判断しなくてはならない。また、子どもの行為があまりに危険なときはすぐに中止させる必要がある。
 ・・・(中略)
 このように考えると、教師は外から見ると何もしていないように見えながら、心の中では大いに仕事をしていることがわかるのである。あっちへ行っては「やめなさい」と言い、こっちへ行っては「こんなふうにしてはどう」と教え、大活躍をしているように見える先生は、「専門家」とは言えない。「あの子、あれで大丈夫かな」、「けんかをしているけれど、もう少し子どもたちにまかせてみよう」などと心の中が大車輪で動いていても、落ち着いてそこにただいるだけというのが、理想の教師と言えるのではなかろうか。

『子どもと学校』(P96~P98)より

『子どもと学校』
(岩波新書)
著:河合 隼雄

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