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フジヤマコットントンを観て〜幼き出会い

時系列で辿るという、長々しい予感にあふれた始まり方を取りたいと思います。
フジヤマコットントンを観ている間に、またはその情報に触れる折に、多くの方が自身とハンディキャップのある方との交流の記憶を呼び覚まされたのではないかと思います。私ももれなく色んな方の顔が浮かびました。その最初の方との話です。

多分3歳か4歳で保育園に通っていた頃、私は自分のクラスを越境して一番小さな子供たちのいちご組によく遊びに行った。確かあやちゃんという名前の女の子と遊ぶのが目的だった。あやちゃんは今思えばその時点で身体的にたぶん障がいがあった。脳性麻痺かもしれないなと思う。私が抱っこするととても可愛い笑顔で声をあげて喜んでくれるのがたまらなかった。私は姉と15歳も離れていて、自分の家では圧倒的に子供だし、クラスでは同じ年の子たちしかいない中、初めて遊ぶ自分より小さい人達との出会いに私はいちご組で歓喜していたのだろう。

その中でも一番明確に喜んでくれて反応が抜群良かったあやちゃんに私は夢中になった。きっと私は可愛い人たちに触れたい一心でベタベタしたがっていたけれど、動き回れる他の子達には逃げられていたのかもしれない。ハイハイができるようになってあんよもできるようになった子供は、自分の興味の赴くままに動き回りたい盛りだ。けれどもあやちゃんはとてもゆっくり動くので私に捕まってしまったのかもしれない。幼い私にはそんな理解は及ばず、あやちゃんは私と触れ合うのが好きで私も大好きなのだ!!嬉しいな〜るんるん!!とくしゃくしゃした顔で笑っていた。私の記憶の中のあやちゃんの目はとても輝いていた。末っ子の私に他者を可愛くて愛らしいと感じる感情をはじめて芽生えさせてくれたのは彼女だったと思う。
乳離れが遅く、3歳頃に母のおっぱいを卒業して彷徨った私は、幸運にも次なるスキンシップの機会を家族以外の他者との間に得たのだった。同じ歳の子供同士では行わない、抱っこなどのスキンシップの記憶は今思い出しても本当に心が温かくなる。この記憶の効用は私の人生に置いてとても大きかったのだと改めて今、感じる。
愉快な思い出も多いが、親が早く迎えに来れなくて最後の一人になって寂しかったり、女の子同志のファッションチェックでふりふりした服を着ていると咎められたりと、幼いながらに何か心にチクチクと突き刺さるものもあった保育園での体験の中で、あやちゃんとの笑顔と可愛い!!と嬉しい!!だけで彩られた幸せな時間はもはやぽっかり浮かんだユートピア。今でも私の理想郷のイメージの一つなのかもしれない。

あやちゃんが私の初めて触れ合った障害者という存在だったと思う。

フジヤマコットントンのチラシを初めてポレポレ東中野で見つけた時、青空をバックに綿花の木にフワフワとなる綿とめぐさんとゆかさんの笑顔を目にして、わたしの嗅覚が反応していた。



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