これから、何をつくろうか|『田宮模型をつくった人々 伝説のプラモ屋』
ミニ四駆、RCカー、プラモデル……そのパッケージにあるTAMIYAというメーカーを知らない人は、ほぼいないだろう。
今日では、世界規模で有名なTAMIYAも、最初は戦後、著者の父である田宮義雄が軍需産業から製材業に転身し、設立した田宮商事合資会社の一部門から出発した。
そこから紆余曲折を経て、本格的に模型メーカーへと転身していくのだが、勿論、順風満帆ではない。
当初はTAMIYAの代名詞であるプラモデルはなく、製材業の時に使用していた機材を流用して作れる木製模型を製造していた。
しかし、この借金の返済を済ませるより前に、木製模型は斜陽化してしまう。
そう、プラモデルの登場だ。
作る側の技術も必要な木製模型と違い、誰にでも簡単に作ることが出来るプラモデルは、あっという間に市場をひっくり返した。
そして、時代の流れに抗えないと悟った著書の父・田宮義雄は、苦悩の葛藤の末、プラモデル製造の道を歩む決心をした――。
“TAMIYA”を“TAMIYA”にした著者
著者は 田宮 俊作
詳しい経歴については、本書にあるプロフィールを記載する。
出版社は 文藝春秋
掲載誌・レーベルは 文春文庫
発売は 2007年05月10日
“度が過ぎた”こだわりが、世界を広げていく
“神は細部に宿る” その言葉に尽きる1冊である。
プラモデルを作るのにポルシェを買い、解体する。
RC操縦の戦車(ドイツ重戦車タイガーⅠ型)にエンジン音を付ける為、フランスのソミュールにある戦車博物館にある同じエンジンを積んだタイガーⅡ型のエンジン音を録音しに行く……
ただ、こだわり抜くからこそ、多くのタミヤファンを生み、たくさんの協力者を得てきたのだ。
TAMIYAの面白いところは、この“度が過ぎた”こだわりだけではない。
1番印象的だったのは、海外進出にあたり、代理店を探していたエピソードだ。
本来なら、大手の、販路をたくさん持っている代理店を選びそうなものである。
それを、真逆の代理店を選び、主力商品がないから一生懸命売るだろう、倉庫スペースが空いているからタミヤ商品が入る余地がある……という解釈になるだろうか。
結果を知っているなら出来る判断かもしれないが、勿論当時は誰もそんな未来は知り得ない。
かなり変わった経営の発想を持っているように思える。
それ以外でも、たくさんの協力者やファンの楽しいエピソードが詰まった本でした。
もう一度、あの頃のように遊びたくなる! そんな1冊です。
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