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今はなきハノイのサロン風カフェ

ベトナムの首都ハノイに足しげく通っていた90年代、仏領インドシナ時代の面影を遺す旧市街にお気に入りの宿があった。

とある文献に「トンネルハウス」(※別項あり)という語が使われたくらい間口が狭く、そのぶん奥に深く、薄明かりしか届かない、日本でいう"ウナギの寝床"然とした安宿。

当然ながら壁は薄く、路地にこだまする物売りや従業員らの声、トイレの水音、おまけに"あの時の声"まで筒抜けという生活感に満ち満ちたところが魅力といえば魅力だった。

そのホテルの1階、フロント前がカフェになっていて、早朝から初老の親父さんたちが集まっては茶を飲み、タバコをふかし、新聞を読み、四方山話に興じていた。


※現在のハノイで若い女性のいないカフェなどあり得ないだろうが、少なくとも当時、このカフェに関しては間違いなくおじさんたちに占拠されている状態だった。


聞けば、画家や大学教授などのリタイア組が多いという。

なるほど出立ちをよく見ると合点がゆく。仕事でもないのに上下背広姿だったり、ハンチングやパナマ帽をかぶっていたりと、それなりに身なりを整えて出かけてきているのだ。

それはつまり、前職を示す、ある種の"記号"を共有していると言って良いのかもしれない。

朝からお茶するリタイヤ組のおじさんたち

さて、そんなある日のカフェを写した上の写真だが、画面左手に大きな鏡があり、端っこにちょっとガタイのいいお姉さんが映っているのがおわかりだろうか?

この女性、ここのウェイトレスなのだが、このショットのあと、私の後方から突然、威圧感あふれる声でひと言。

「It's ok, sir?」

正直びっくりしたが、狭い通路を陣取っていたのだから致し方ない。
言い訳を言わせてもらえるなら、このアジアン・モンマルトルのようなサロン風の空間が好きだからこそ常宿にしていたわけで、とりわけ曇天の多いハノイに珍しく綺麗な斜光が差し込む貴重な瞬間だったのだ。

まあ、だから実際、お姉さんに「もういい加減にしなさい」と言われるほど枚数を撮っていたのである。


※お気に入りだったこのサロン喫茶もこの撮影から数年後に消え、やがてはホテル自体、取り壊され、ドアマンのいるホテルに様変わりしたそうな。

何事にも旬があり、栄枯盛衰ありの感慨深しである。



※トンネルハウスについてはこちらに詳しく書きました。


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