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あとがき 『ふたりのあいだに在る写真』 水谷慎一郎

「note」に全5回にわたり投稿した『ふたりのあいだに在る写真』を読んでいただき、有り難うございました。

3万字を超える物語の執筆は初めての試みで、構成の面白さ・ストーリー全体の整合性や一貫性への配慮はさることながら、飽きさせず先に読み進んでもらう工夫・よどみ無くスクロールしていけるような文体にする等、SNS投稿プラットフォームならではの文章作成の大変さも今回、実感した次第です。

  • 写真にまつわるリアルな文章

  • 女性の美しさを丁寧に扱うこと

  • 男と女の純情を描く

『ふたりのあいだに在る写真』の創作のコンセプトは上に挙げた3点です。これらを踏まえた小説を、私は書いてみたかった。

内容の出来栄えについては読者の感想に任せるより他ありません。ですから、あとがきとして、作者である私が申し上げることができるのは、執筆後の反省のみです。

①女性特有の病気についての表現
この物語はフィクションですが、たとえ架空の作品とはいえ、人間の病気のことを取り上げるのには若干の抵抗がありました。
作中の中心人物「りょう」には、生まれつき左胸の乳房がありません。脂肪による膨らみはおろか、その下の筋肉すら無く、肋骨が浮き出て見えるほど平らになっていて、そこには乳首さえ付いていません。医学的にはこれを「無乳頭症」および「(先天性)胸筋欠損」と呼び、症例は非常に少ないですが、実際にある先天的な病気です(ポーランド症候群ともいう)。
私はかつて、印刷会社に勤務していました。そこで、ある大規模な胸部外科シンポジウムで使用する資料の編集・印刷の仕事に携わったことがあり、その編集過程で、乳房の無い女性についての数々の症例の記述や写真原稿を私は取り扱いました。
りょうの病気の描写についての多くは、この経験をもとに、実際にこの病で苦しむ女性の感情を毀損しないよう、書いたつもりです。

②曖昧な結末について
りょうの望みどおり「ぼく」は、彼女のポートレートを撮りました。しかし、現像しプリントしたものを彼女に渡す場面までを書いておらず、結末がいわば「尻切れトンボ」であるといった印象を私自身も否定できません。
なぜ、このような形の終わり方にしたのか。
出来上がった写真は「りょうとぼく」にとって、きっと満足のいくものになっているとは思いますが、最後にそれを渡すところまで描いてしまうと、この物語のクライマックスだと私が考えていた「胸の秘密を打ち明ける彼女(りょう)と、それに対する男(ぼく)の反応」の場面がストーリーの流れの中で強調されにくくなってしまうと考えたからです。
ですから最後に「どんな写真が出来上がったのか」までを書いてしまうことを、あえて私は避けました。

…その他、反省点をいろいろ挙げればキリがありませんが、あまりやり過ぎると無粋なので、この辺りでやめておきます。

最後に。
谷口涼のキャラクター設定の参考にさせてもらった女性たち ― めぐみ、真由、佐智子。あなた達に礼をいいます。
印刷技術に関わる記述においては、かつて勤務した中日本印刷(株)での経験が大いに役立ちました。
祖父の形見のカメラがきっかけで「ぼく」は写真を撮り始めたわけですが、これは実際の私のエピソードに基づいています。祖父に感謝します。

『ふたりのあいだに在る写真』を読んでいただき、ほんとうにありがとうございました。
まだこれからも、書いていきます。

水谷慎一郎


(おわり)

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