2022年11月 札幌ひとり旅20 北海道博物館と北海道の近世
松前藩の支配が北海道では続くのだけど、まず、1700年に場所請負制というのが始まって、アイヌの人たちは和人のもとで働いて給料をもらうようになった、と。
ほんと、和人、後からやってきて、なんでだよ、って感じだけど。。
その中で、1789年、寛政年間、クナシリ・メナシの戦いが起こる。
で、その鎮定後、飛騨屋が場所請負人の権利を剥奪された、っていうので、よほど、和人がひどいことしてたんだな、と思ってちょこっとwiki以外も見てたら
まず、老中の田沼意次が蝦夷地に調査隊を出したらしいのだけど、飛騨屋の経営を調べたら、帳簿も付けないどんぶり勘定だった、と。
で、この、クナシリ・メナシの戦いの鎮定後、飛騨屋の支配人、番人の非道(暴力・脅迫・性的暴力・だまし・ツグナイ要求)の実態が明らかになった、とのこと。
酷い話だなー、、
そして、ここら辺からは我々もよく知ってる歴史、1792年に根室にロシアのラクスマンがやってくる。
江戸幕府、今まで、蝦夷にある富には興味があったけど、しっかりと統治ができない状態だったところ、放っておくわけにはいかないな、となってくる。
1799年に東蝦夷地を幕府の直轄領とする
1800年に伊能忠敬が蝦夷地を初めて計測
1807年に西蝦夷地を公議御料、東蝦夷地で場所請負制が無くなる
1812年、1813年に場所請負制が再開
1855年第二次幕領期
1869年に、開拓使が始まる、と。
で、どうやら、松前藩が弱体化すると場所請負人の振る舞いがひどくなるみたいな書き方されてるが、、
そもそも、この場所請負制、っていうのが、権利みたいな形で、例えば、このクナシリ・メナシの飛騨屋久兵衛は、松前藩にお金を貸していて、それの返済の代わりに場所請負の権利を与えたのだと。
交易権、と言えば聞こえはいいけれども、まぁ、この土地のものをどう取っていっても良いですよ、みたいな感じだったのかね。。
飛騨屋武川久兵衛、地元では名士みたいな扱いを受けてるみたいですが。。
どういう人格だったんだろうな、と思うけど、まず、新しい場所で事業を起こそうとする血気盛ん、かつ、強欲でもあっただろうし、そういう親分についていく子分たちも荒くれ者だったんだろうなー、と。
これを、松前藩と幕府が看過していた、って感じかね。
いや、そもそも、借金のカタみたいにして、場所請負人にさせてる。
その時点で、松前藩の弱体化が云々も、ふざけるんじゃないよ、って思うが。
現象として、なんでこんなことが起こったんだろう、って。
そして、明治時代の北海道の話。
まず作られるのが、札幌農学校。
そして、たくさんの移住者。
開拓の村にきれいにまとめられてたのだけど、抜粋すると
・明治初期は佐幕派で新政府に負けた藩、旧会津藩、仙台藩の士族が集団移住
・その後、失業士族への士族授産のいきさつで移住
・明治初期は士族から、中期からは平民も、本州で移民希望家族を募って屯田兵として移住
・明治後期には小作農民を移住させて大農場を経営する開墾会社が多数成立
・新しい理想郷を求めて宗教団体の移住
・一般の単独移住(これが一番多い)
そして、この開拓政策の中で、アイヌ民族が、ある程度自由に行えていたシカ猟やサケ漁を禁止されたり、住んでいた土地から立ち退かされたり。
この状況に対して「旧土人保護法」を公布して、アイヌ民族を和人に同化させようとしたと。
北海道博物館のガイドを買ってきたのだけど、歴史の流れも書いてくれてて、すーごい分かりやすい。
そして。
旅行からすっかり離れてしまったので、そろそろ戻ろうかな、と思うのですが、最後、北海道博物館で心に残った展示を紹介。
明治期に、子どもを育てきれなくなった和人の子どもをアイヌが引き取って育てた、というお話。
こんなお話があちこちの村であった、と。
凄い話だなー、と思った。
和人の偉い人には迷惑をかけられてばかりだけど、その子供を育てられなくなった人が悪いわけじゃないものね。
北海道博物館を出て見た、天使の梯子、薄明光線。
最近、やたらにお目にかかる。
そして、帰りは目の前のバス停から森林公園駅に出て、札幌に戻ったのでした。
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