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2022年11月 札幌ひとり旅19 北海道博物館と北海道の歴史

開拓の村の次は、同じ野幌森林公園の中にある北海道博物館へ

入ってすぐにマンモスゾウと

マンモスゾウ
ナウマンゾウ

ナウマンゾウが。
そして、まず、北海道の歴史。

まず、旧石器時代、北海道は黒曜石が取れる土地で、それがサハリンまで運ばれた、と。
そして、縄文時代の後、続縄文時代に移行して、鉄器をわずかに使うようになる。
で、北海道を中心に、って書いてあるけれども、本州全部、稲作したんだろか、と思って最北の稲作の遺跡を調べたら

http://www.city.hirosaki.aomori.jp/gaiyou/chosya/gyousei/maibunkikakuten2017.pdf

砂沢遺跡が弘前市にあった。
なんか、すー----ごい前に、もののけ姫関連で宮崎駿さんが、アシタカのモデルについて話してて

東北地方のエミシで。
でも、この記事を読む限り、エミシも大和民族の可能性があるのか。
で、エミシとアイヌはまた、違うものである、と。

これ、前半だけちょこっと読んだのだけど、縄文時代、東日本の方が食料が豊富で、本州の9割が東日本に住んでいた、という推計があるのだそう。
確かに、街道をゆくの「北のまほろば」で、どれだけ東北が豊かな地だったか、という話が出てくる。
・・・東北の話してる!

まぁもちろん、エミシとアイヌが一緒だとは思っていないけれども。
そして、北海道に話を戻すと、続縄文時代の後、擦文文化になる
擦文文化の特徴は、
年代:7世紀~13世紀(古墳・奈良・平安時代)
住居:初期~中期は竪穴式(囲炉裏・かまど付)、後期は地上住居
土器:深い形、擦り付けてつけたと思われる刷毛模様→木のヘラでこすった模様では?
8世紀ごろになると、河口近くに住んで、粟やヒエなどの雑穀を栽培していた、と。
そして、より本州とのつながりが強くて、交易で鉄器、須恵器、土師器を手に入れて、アザラシの毛皮やワシの羽が本州にもたらされた、と。
で、12世紀ごろまで続いていく

そして、サハリンから北海道のオホーツク海沿岸を中心に広がったオホーツク文化
これは、続縄文文化、擦文文化の流れではない文化で、海獣狩猟や漁労を中心とする、海に依存する生活を送っていた、と。
秋にホッケ、冬にタラ、春にはニシンなどの海水魚類
冬はアザラシ、オットセイ、トド、アシカなどの海獣を採る
また、ヒグマをはじめとする狩猟獣を交易用の皮として利用するために採ったのでは、と。
また、クマなどの動物に対する特別な信仰があって、アイヌ文化につながっていく、と。
で、諸説あるのだろうけど、阿倍比羅夫が蝦夷を服属させるために7世紀に来たのだと。
もう、ここら辺からか。。。
そして、生きているヒグマ2匹とヒグマの皮70枚を献上した、とのこと。
随分と巻き上げてるな。。

そして、13世紀ごろから始まるアイヌ文化
ここで言うアイヌ文化は、いわゆる広いアイヌ文化ではなく、擦文文化から変化していた時代としてのアイヌ文化
年代:13世紀ごろから
住居:平地住居、チャシ(柵囲い)の築造
生活:鉄製品の大量使用、熊送りの儀式
そして、13世紀ごろになると和人の船がたくさん来るようになった、と。
津軽に安藤氏という豪族が現れ、十三湊が築かれるとさらに日本海側の交易が盛んになり、北海道南部に和人が住んで「館」が築かれた、と。

そして、1604年に松前藩に黒印状が与えられて、松前藩がアイヌとの交易を独占するようになる。
で、今まではアイヌ民族が本州にも出かけていたのが、松前で交易をするようになる。
そして、1630年ごろになると、松前藩の家来がアイヌ民族の村にまで来るようになって、アイヌ民族に不利な取引が行われるようになった、と。
そして起こるのが、シャクシャインの戦い

これに負けて、松前藩の支配がどんどん強くなっていく、と。。
更に、もう江戸時代から砂金目当てに蝦夷に来る和人がいたらしく。
しんどいなぁ。。

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