旧東海道歩き65 蒲原宿と上旅籠「和泉屋」
ほんとーーーに、蒲原宿、大好きなのです。
こんな感じで、宿場町に入っていきます。
15番目の宿場町
なまこ塀だとか、本当に、車と電柱が無ければ、もっと雰囲気があると思うのだけど笑
そして、天保年間に作られたという旅籠が入れるようになってる。
柱から突き出た腕木
生活も感じられる旅籠の中
ほんと、これは、この先も出てくる、異様に急な階段。
これ、昭和に入ってからも、ずっとこうだったんだと思う。
そして昔は、手すりも無く、料理のお盆なんか持って上り下りしてたっていうんだから、恐ろしい限り。
これ、一番納得。
柱と柱の間が一間
で、よく見ると、二つ前の写真、すぐ後ろに柱がある。
一間って1.82mなのだって。
めっちゃ納得。
んで、、、これは、何て説明したら良いんだろう。
例えば、こういう、階段の下の突然のコケシと瀬戸物とか、怖いんだよなー。。。何なんだろ。。
蒲原宿の旅籠の和泉屋では、このおばあちゃんが、色々と説明してくださったのだった。
船箪笥の開け方。
箱根の寄せ木細工みたいな、ちょっと、開けるの難しいんだよ。
でさ、どうしてそんな話になったのか。
街道沿いにお住まいの人たち。
これ、昭和に入ってからの話だと思うんだよなー、このおばあちゃんから聞いたから。
まず、毎朝、格子を水拭きして、軒先の掃除をして。
それで、日中は畑仕事をして、とか。
本当に昔の人たちは働き者だった、と。
で、このおばあちゃんは海の方(漁師かな?)から嫁いだから、この文化に最初戸惑った、と。
こんな話が聞ける。すごい・・・
そもそも、これは、どう説明すれば伝わるのか分からないけど、宿場町の人たち、多分、今でも、通り過ぎる人たちをもてなそうとする気持ちがすごいんだよなー。
手作りの旧東海道の看板を一つ取ってもそう。
本当に、表現力が無いので、いつも、ありがたい、っていう、その一言になってしまうのだけど、やっぱり、文化って残るんだなー、って。
ほんの少しだけでもお返しできたら、と思って、駿河裂織のコースターを買って帰ったのだった。
・・・ほんの少しすぎ。。。。