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愛を待たせて、くすの木通り


 樹木は私にとって浪漫だ。
 私よりずっと歳上で、ずっと大きくて、動かないけれどたくさん色んなものを見ている。
 経過は幹の太さになり、豊かさは葉の枚数になり、ときに何かが宿る尊厳を感じ祀られ、ときに切り落とされ家や楽器となる。そんな樹木の存在に思いを馳せている。

 今まで色んな種類の樹木が私の暮らしのそばにあって、好きになり、大切にしてきた。
 そのひとつひとつを話していけたらと思う。


 今回は「クスノキ」について話す。

 もう何年も前、実家の近くに「くすの木通り」というクスノキが並んだ長い通りがあった。

 私が幼稚園生と幼いこともあってかクスノキは大木で、葉の茂りは随分と高く空にあったし、根が張り上げてコンクリを破った歩道のうねりがずっと続いていた。
 クスノキがアーチになって、いつも木陰でとても美しかった。

 張り上げた根に母は気をつけてと言って、私はジャンプして乗り越えて歩く。そうやって幼稚園から帰宅したことも記憶にある。

 くすの木通りには、たまに行くパン屋や、父が好きな珈琲専門店、しばらくして通い始めたチェロ教室などがあった。


 チェロ教室に通っていたころその教室は2階だったのだが、よくレッスンの時間まで教室の前で待っていて、チェロを横に置いて2階から葉の近いくすの木や車の流れを見下ろして眺めていた。
 私はその時間を「ルリユールおじさん」や「1000の風1000のチェロ」などの絵本を読んだ記憶のように思い出す。
 とても、大切な思い出だ。

 父が好きな珈琲専門店はオレンジ色の照明が漏れた外観が美しかった。
 なぜか夜も近づいた夕方に行った記憶しかないのは、父がその時間によくコーヒー豆を買っていたからかもしれない。
 葉の茂りに暗くなるのが早い通りでは、照明のこだわりが映えるのがとても良かった。

 幼稚園の課外学習で、その通りを歩いたことがある。ここは誰のお母さんのお店、ここから曲がれば誰の家、など私の生活がくすの木通りのそばにあったように、同級生のそれぞれの生活がそばにあった。

 木陰は涼しかったが、体温にあたたかかった。


 それから、実家の引越しがあってくすの木通りは私から遠くなってしまった。

 それでもたまに、クスノキのアーチをくぐるときには、彼らの祝福を受けて美しいひとときを過ごした。


 もうだいぶ前にくすの木通りは、道路拡張のためクスノキが払われてしまったので今はない。
 1車線なのに車通りが多くよく混んでいて不便だったのもあったし、開発を進めるためだったと思う。不便でも良いからそのままにと子供ながらに思ったが、地域の運営のためには仕方がないのかもしれない。


 もう祝福を受けられなくなった今も、いつまでも、あの通りには愛を待たせている。

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