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自信に満ち溢れている人と一緒にいると自分の自信を吸い取られて疲れる話。

3か月ぶりの投稿でいきなり何を言いだすのかという感じですが、ふとこんなことを思いました。

「自信」とは

そもそも「自信」という言葉は、どちらかというとポジティブなイメージがあります。「自分に自信がある」って、自分の能力や魅力に気づいていて、自分を信じていて、前向きな感じがします。精神衛生上も、自信が無い人より自信がある人の方が健康そうだし幸福度が高そう。ついでにQOLも高そう。
「自信に満ち溢れている」というのは、もちろん、「自分に自信があって毎日充実してなんかキラキラしている」ような良い意味合いもありますが、一方では「自信過剰」とも言え、「自分の能力や魅力を過信して周りが見えていない」ような状態、とネガティブな私は捉えています。

身の回りの「自信に満ち溢れている人」

私はこれまで、様々な種類の「自信に満ち溢れている人」を見かけてきました。例えば、「自分の能力をひけらかす人」
繰り返しになりますが、自分の能力や魅力に気づいている人、その上で自分に自信がある人は、素晴らしいことです。私はネガティブで自信が無いタイプなので見習うべきではあります。
一方で、自分の能力や魅力に陶酔しきっている人は、傍から見ていると痛々しく、残念です。能ある鷹は爪を隠すとはよく言ったものだと思います。
まあ、痛々しいだけなら別に構わないのですが、それが周りの人間に影響を及ぼし始めると厄介です。

・自分の話ばかりしていて人の話を聞かない人

学生時代、こんな友人がいました。
「この前ハーフと間違えられてこんなすごい出来事があった」「自分の両親はこんだけ優れていて金持ちだ」「自分は元ヤンで地元じゃ負け知らず」のような話を、延々と続けている。話が上手いので最初は聞いていて楽しいし、みんなもニコニコ聞いている。ただ、ホントに際限なくずーっとしゃべっている。2時間の飲み会だったらトータル1時間45分くらい、無限に彼女がしゃべり倒している。その場にいる別の友人が気を利かして、無口な私に話を振ってくれても、話し始めて1分で、トーク泥棒をされる。「私の場合はこの間ね~」って。言葉を選ばず形容するのであれば、「おしゃべりクソ野郎」ともいうのでしょうか。
彼女は美人なだけでなく、勉強もでき、元ヤンキーだけあって根性も座っている最強の女だったので、正直な話、ネガティブでひ弱な私の僻みもありますが、注目すべきは、その話の内容ではなく、「周りの人の気持ちも考えず、延々と自分の話だけをしている」という状態です。会話というのは、それが1対1でも、大勢でも、色んな人が相互にお話して成り立つはずです。せっかく集まってきている人々の時間を奪ってでも、ひとりで延々と話をする、時には人の話を遮ってでも自分の話をする、おしゃクソ(おしゃべりクソ野郎の略)、一緒にいると疲れます。

・意地でも自分の意見を押し通す人

上記のタイプと少し似ていますが、職場によくいるタイプです。他人の意見に聞く耳を持たず、自分の意見を無理やりにでも押し通す人。きっと今までもそうやって「自分が自分が!!」で生きてきたのでしょう。
結局、「声がデカいヤツが得する世の中」、なんとも世知辛い。

・自分のポジティブを押し売りする人

「もっと前向きに生きようぜ!」「なんでそんな自分に自信ないの?ウケるw」相手の状況や立場も理解せず、「こうあるべき」の押し売りが強い。まるでポジティブが世界を制するという気概。
基本的には世の中にはいろんなタイプやバックグラウンドの人がいて然るべきだし、それを尊重し合うのがこの世のあるべき姿と私は考えるのですが、自分こそが正しいと信じて疑わない、自分と違う人やその状況を理解できない(もしくは理解しようともしない)視野の狭さ、傲慢さ、図々しさ、理解に苦しみます。

・見た目も頭脳も仕事もプライベートも完璧な人
この状況で自信に満ち溢れない方が不思議ですよね。もちろんこのような状況でも謙虚な方もたくさんいますが。
こうやって、何もかも自分のものになると、それを他人に見せびらかして誇示したり、「あなたもこうならなきゃ」と強要してくるような人がいます。そもそも人生にモデルなんてあってはいけないのです。それぞれの人が自由に多様に生きるべきなのです。それでも、こういう人がいると、特に自己肯定感の低い人は、「なんでも完璧な人が正義」のように感じてしまいます。

自信を吸い取られるメカニズム

・自分に自信が無く、劣等感の強い人は、吸い取られやすい

他人の状況を理解することの無い、我が強い人、「自信に満ち溢れている人」は、「自分が正しい」というように生きています。私はそういった人たちがたくさんいる学校や職場にいましたが、「あー、みんなすごく自信に満ち溢れていれていてキラキラしていいなあ。きっとすごい努力をしているのだろう。それに比べてこの私は‥。」と、自己肯定感が下がり、大きくなる自己嫌悪感&劣等感と反比例して自信がどんどんしぼんでいきました。
「自信に満ち溢れている人」にとって、他人の自信を奪っている意識なんて、皆無でしょうが、自分に自信が無い人にとっては、脅威でしかないのです‥。

・人はどうしても他人と比較してしまう

心理学や自己啓発系の本で何度も言われていることですが、「他人と比較すること」は何の意味も無いことは、重々承知です。
それでも、どうしても、完璧な人への憧れ、嫉妬は後を絶ちません‥。例えば、自信に満ち溢れている人達が、一瞬で習得してしまうようなことを、私は1年かけて学んでいる。そんな状況を否定的に捉え、自分の日々の苦悩や地道な努力に何の意味も見いだせず、余計にネガティブになってしまいます。
でも、自信に満ち溢れている人って、本当に一瞬でそのスキルを習得しているのでしょうか。もしかしたらそのように見せるのが得意なだけだったり、概要だけさっと見て全体を把握するのが得意なだけかもしれません。

・自身に満ち溢れている人同士は相性良いかも

逆に、自信がある人同士だと、高め合うのかもしれません。自信を吸い取られるどころか、むしろ切磋琢磨し合うというか、高め合うというか、良きライバルというか。「あの人もキラキラして頑張っているから私も頑張る!」みたいな。

・気にならない人は気にならない

これはあくまで、神経質でネガティブで卑屈な私の見解なので、多分何も気にならない(そもそも気づいていない)人がほとんどな気もします。

「自信に満ち溢れている人」への嫌悪感の正体

「視野の狭さ」「傲慢さ」「図々しさ」であると考えます。自分が正しいと信じて疑わず、それを周りに強要する、周りの気持ちや状況を理解できない視野の狭さ、そんなところです。
一方で、こういう人は必要な場面もあります。膠着状態の会議、もう誰かなんでもいいから決めてくれ!っていう時とか、だれか率先して進めてくれ!という時に欲しい存在でもあります。良い方向にリーダーシップを発揮してくれると役に立ちそう(失礼)。

やっぱり謙虚な人がいちばん

「謙虚さ」というのは、いつも恐縮し謙遜しているとかそういう表面的なことではなく、「自分の能力や魅力をひけらかすことなく、むしろ自分のダメな部分も理解できている」「他人や物事の良いところも悪いところも平等にとらえられる」ような人だと考えます。あらゆる事物の一長一短を、客観的に捉えられる、それが自分でも、他人でも、物事だったとしても。
昔働いていた職場の上司が、採用したい人物像のことを、「自分とお話できる人」という表現をしていました。これまでその意味があまりしっくりこなかったのですが、それは、自分という存在、を大好きで大切な自分ではなく、他人や物事と同じように客観的に捉え、良いところも悪いところも理解できている人、を意味していたのだなあ、としみじみ思いました。
仕事でも恋愛でも友達でも、謙虚な人というのは、相手がどんな人でも、ネガティブでもポジティブでも自信があっても無くてもどんなバックグラウンドを持っていても、フラットに接することのできる、心の広い人だと思います。そういう人に私はなりたいものです。

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