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「戦争を知らない私たちだからこそ」知らないを知る、そして継ぐ。

2024.6.15(土)PM
北九州市小倉北区にある生涯学習総合センターにて、
「北九州市民カレッジ」のひとつ、
『新・平和学習のあり方を考えるⅡ』の第2回講座が開催されました。

昨年度に続き、「Ⅱ」の講座で、
こんな言い方をしたら失礼かもしれませんが、
『平和』をテーマにした講座で、30人の定員を大きく超えてギューギュー詰め。

とてもとてもスゴイ人たちが名を連ねており、
一番下に、場違いな人のお名前も・・・汗

ちなみに、昨年度も、オオトリを中島先生と一緒にさせていただきました。
そのときの様子はコチラ!


みなさん、
『平和への活動』と言葉だけ聞くと、
どんな活動者をイメージされるでしょうか?

来年で、戦後80年。
当時を鮮明に覚えている人からお話を聞くのは物理的にラストチャンスを迎えているような時計の進み方です。
ぼくは大きなタイミングだと常々思っています。

というのも、
ぼくの祖父母は戦争体験者でした。

大分で空襲に遭い、その後小倉に出てきたじいちゃん。
爆心地から離れていましたが、原爆後を広島で生き抜いたばあちゃん。
海軍として戦艦で出兵して戦ってきたじいちゃん。
小倉の女学校で爆弾や武器を作っていたばあちゃん。

父方・母方ともに、何かしらの戦争との関わりがありました。
当時のことを、子どもの頃から少しずつ聞いては、時代の記憶として、大切に受け取ってきたつもりです。

『二度と繰り返してはならぬ』
こんな言葉はみんな理解しているし、共感しているものと思います。

でも、歴史の教科書を開いてみると、
みるみるうちに、戦禍に巻き込まれ、民衆もそうしたマインドになっていっていたというようなことも受け取ります。

つまり、
これからの平和の未来は、
今を生きる、ぼくたち自身がつくっていかねばならないと思います。

目を向け、関心を向け、自分の意志や心を持ち、
「絶対に戦争はしてはならない」そんな気持ちを持ち続けたいと思っています。

それが、戦争に苦しんだ先人たちから、
しっかりと受け取っていくべきメッセージであり、願いだと思います。


そうした意味で、
ぼくは『当事者』でありたいと思っています。

子ども達の明るい未来を願い、どんな世の中をこの子たちに引き継いでいかないといけないのか。

この子たちは、80年も前の戦争の記憶は、
戦国時代の武将が戦っている時代の歴史の教科書と同じです。

世代が変わり、ありのままに記憶は引き継ぐことができません。

ぼくは、『当事者』であった祖父母から、リアルに話を聞いてきた『当事者』でありたいと思っています。


そんな『第三世代』のぼくが、
ぼくたちだからこそ、できることがあるんじゃないかなと思っています。

そう思って、微力ながら、平和への願いへの取組みも少しばかりしてきました。

そして、「こんな人がいるんだ!」と思うような、今回の出会いでした。
共感しまくりの2時間の講座となりました。

団体名からその意図を表記しています。
『第三世代が考えるヒロシマ「 」継ぐ展』というチームの代表である
久保田涼子さん。
ヒロシマから、コクラにお越しいただきました。

ご覧のとおり、ぼくと同世代で、とてもパワフルな美人さんです。

ちなみに、ぼくの隣りが北九州市での平和活動の先頭を走っておられる渡辺館長(現:東戸畑市民センター)、一番右が戦争の記憶を『個』にスポットあて、マンガで描く活動をされている樺島さん。彼はぼくよりも年下なのですが、とってもスゴイ人です。

樺島さんのマンガ、是非ご覧ください。どの作品も涙が出ます。
『怖い』という平和教育とは全く違います。
その時代に生きた人たちの心に接します。
漫画作品一覧 | 北九州 戦争を次世代に伝えていく会 (kitakyu-zisedaini.com)


ヒロシマで活躍される久保田さん。
その活動のきっかけは、戦禍を生き抜いたおばあちゃんとのお話がきっかけでした。

広島育ちの久保田さんは、平和教育はもちろん受けてきて、
「また戦争の話か」「もう知ってるよ」という感じもあったそうなのですが、
当時のことを多くは語らないおばあちゃんから、ポツリポツリと当時のことを聞くなかで、『知らない』ことばかりだと。

あの、8月6日。
おばあちゃんは、たまたま仕事?をサボったらしく、いつもと違う場所に居たそうです。
いつも通りだったら、間違いなく被害を受けていたそうです。
そんなたまたまな幸運が、久保田さん自身への『命』を繋いでいることも感じます。

戦後70年になるとき、
『何かしないと』と思い立った久保田さん。
デザインや音楽やアートなどの仲間も多く、多くの人に伝わる、届く取組みをどんどん仕掛けていきます。

その熱量と行動力はすさまじく、
広島だけでなく、日本各地で出展やイベントなど、階段を駆け上がるように進めていかれたようです。
現在でも、ヒロシマで、日本国内のみならず、世界の方々へも届くような活動をされてらっしゃるようです。

スゴイ。
『市民活動』としての素晴らしさ、パワーを感じました。


そんな久保田さんも想い。
『知らない私たちだからこそ』

知らない事を強みに変えています。
みんな知らないんです。
だからこそ、同じ目線に立って、少しでも興味関心が向くように、届けることを意識されているそうです。

アイスブレイク的なワークショップを先にしました。
2人1組になります。画面に移される絵について、片方の人が言葉だけで説明する。もう片方の人は言葉を聞くだけで書いていきます。

見たことをありのままに伝える。
伝わらない。
そのまま伝えることなんてできない。

これが、当事者とそうでない人の大きな違いです。
それをまずは理解することが大切です。


次に、こんなクイズがありました。

ヒロシマに原爆が投下された日、
『何曜日だったでしょう?』

1:日曜日
2:月曜日
3:金曜日
さぁどれでしょう?

1945.8.6ということは、みんな知ってるんです。
では、何曜日?

これは、『月曜日』だそうです。

日曜日と月曜日じゃ、市民の過ごし方は全然違ったでしょうね。
週初めの月曜の朝イチ。
突然、原爆が投下されました。

そんな日常のなかの戦火でした。


例えばこのようなこと。
歴史全体像を教科書で学びますが、
人々の暮らしや、そのときの人へとスポットを当てると、より想いを馳せることができるのではないかと思います。


北九州にも、戦争の爪痕。
そして、先人たちの願いを継ぐポイントはたくさんあります。

久保田さんがご提案したワークショップは、
北九州のそうした平和への願いを感じることができる場所やモノについて、クイズを作ってください!
とのことで、各テーブルごとに、クイズ作りにチャレンジしました。

皆さんさすがお詳しい!
とても興味関心を惹くような、クイズが8つ出来上がりました。
こうしたクイズをもとに、各地での学びを進めるなど、取組めたら良いですね。


このように、
知らないからこそ、
知るためのアプローチを楽しく考えていく。

そんな、市民活動ならではの取組みを教えてくださいました。

詳しい人がもっと詳しくなったり、
一部の興味関心が高い人だけをターゲットにするのではなくて、

『伝えられる人を増やす』という明確な目標を持っておられるように感じました。


最後に、
海外旅行の好きな久保田さんからこんな話がありました。

外国に行ったときに、「ヒロシマ」から来たというと、
・住める場所なのか?
・どれぐらい大きな穴が開いてるのか?
・被爆3世の身体への影響は?
・アメリカを恨んでいないのか?

などと素朴な疑問を投げかけられるそうです。
現状を発信していくことを大切にしていきたいですね。

そして、必ずのように聞かれるのは、
『あなたは、先の戦争や、これからの平和について、どう思っているんですか?』
との質問だそうです。

その目の前の外国人に対し、ジャパニーズ代表として、どう答えるのか。
その一人ひとりの意見を持つこと。考えをもつこと。
海外では、こんな率直な質問があるそうです。

昔読んだ、『国家の品格』という本に同じようなことが書いていたのを思い出しました。


世界唯一の被爆国である日本で暮らすぼくたち。

平和への願いをどのように考えているのか?
その問いについて、自分自身でもっと考えてみたいと思いました。

より世界が交流していく時代へと進んでいくんだろうと思います。
この国のアイデンティティ。
このまちのアイデンティティを持っていたいと思います。


いろ〜んな刺激を、ビンビンと受けた機会となりました。
久保田涼子さん、広島からお越しくださり、色んなことを伝えてくださり、とても感謝しています。

久保田さんが放つエネルギーは、北九州でも、確実に拡がっていったように思います。ぼくもそれを熱いまま受け取った一人です。

さて、来月の最終回。
ファシリを任されています。
企画を練っていこうと思います。



貴重な時間のなか、この記事をご覧くださってありがとうございます。




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