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養育家庭の事ー里親の実子も里子も同じ兄弟なんです。

 1月7日の東京新聞の社会面で、「虐待などで実の親と同居できず、里親家庭で暮らす子どもら7人が小倉将信こども政策担当相と内閣府で面会した」という記事を読んだ。「学校の授業で里親制度や里親家庭で育つ子の現状を取り上げて」と訴えた。面会した子どもらは、「里親家庭で育った子どもが特別視されない日本になってほしい」「子どもの声を聞いて」などとつづったカードを小倉氏に手渡した。虐待を受けたりして社会的な養護が必要な子どもは全国に約四万二千人いる。このうち里親家庭で暮らす子どもは2021年3月末時点で六千十九人。

僕の両親は、里親制度で、3歳の男の子を乳児院から里子として受け入れた。兄が6歳、僕が4歳のとき。そして、6年間一緒に子ども部屋で3人兄弟過ごした。
色々な事情があり、6年後に、「この家庭とは不適合」と書類一つで、弟は、養護施設へ入居することとなる。
当時の僕の心境としては、いつも友達との遊びにもくっついてきて鬱陶しい奴だなと思っていた。でも、近所のお寿司屋さんでのお別れの席で言葉を詰まらせて泣いた。10歳の僕には、受け止めきれない初めての心境で今でも昨日のようにその感情を思い出す。憎たらしいけどいなくなるなんて思ってないから寂しいという複雑な想いだったのだと思う。大人や社会制度に翻弄されて子供たちは里子や実子の兄弟それぞれの立場で、感情を何にどうやってぶつけて良いか分からずに思い悩んだと思う。
 里子の弟とは、今でも年に数度飲みに行ったり、実家で集まったりとよく会う。というより、僕は、弟と当たり前に会う。
 その当時の事は、今でも話すのだが、弟本人も覚えていないことが多く、施設入居した後に、里親の元に戻りたいと訴えても、その子どもの声を聞く制度が無かった(今でも無いに等しいのではと思う)。それは、当事者に決定権があるかという社会福祉全体の問題でもあると思う。
 当事者である弟も、現在は、どうにか自分の様に里親との生活を広めたいと思っているがどうアクションを起こして良いか分からないと話していた。
僕ら3人兄弟が、不適合と社会制度から切り離されてから40年経ってもお互いを思って会っているという事実は、里親制度のこれからの道筋に光を与えられる事かもしれないと思う。
 里親制度、児童養護についての問題を学んで行こうと思う。そして少しずつ、当時の事や今僕ら兄弟が思っていることを書いて行こうと思います。

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