_トリノ通信_10

「トリノ通信 4 ロッジアート loggiato 、三角形・円形ペディメントの機械」

入江正之(建築家/DFI フォルムデザイン一央(株)・早稲田大学名誉教授)

;寄宿先 albergo の部屋 camera を出て、EVで下におり、中庭 cortile を通って木製の大扉を開けて外に出る。そこはカステッロ広場 Piazza Castello に近いポー通り Via Po の回廊 loggiato である。

 夢の中にいるのではないか?

左右両方向、そして車道を介して前方にも回廊の軸が伸る。

夢ではないのか?

 回廊を右側に歩いて行けばヴィットリオ・ベネト広場 Piazza Vittorio Veneto に、また左方向にカステッロ広場の回廊を介して、ローマ通り Via Rome の回廊を歩いて南に下れば、ポルタ・ヌオヴァ駅 Stazione Porta Nuova に着く。ほぼ1kmの距離で、雨に濡れずにたどり着けるのである。こちらのこの夢のような経験は、トリノを訪ね、ピエトロ・ミッカ通り Via Pietro Micca の回廊の経験が繋いでくれた。これが実感としての回廊 ロッジアート の始まりである。

「トリノ通信」11

19世紀末から20世紀初めにかけて行われた都市改造によって生まれたピエトロ・ミッカ通り Via Pietro Micca は、こちらにとってトリノ回廊都市の出会いと、その連続性とそれを切り崩す仕舞方によって体験を揺さぶるものである。通信1で表記した対象であった。トリノの都市拡張も第三期も過ぎて、時代が大きく経済性のもとに動くときに、行政と民間資本の意向の折り合いがついた成功した近代の都市改造の事例だろう。回廊を作り出す住棟もいわゆる王宮広場やカステッロ広場 Piazza Castello を取り巻く在り方と違って、自由な様式が選び取られているようだ。時代は折衷主義の時代であり、なおかつ novecento (二十世紀様式)という時代のその名をとった様式ということである。

回廊自身について述べれば多様な様式の列柱と、ヴォールト天井やフラット天井、その装飾性については柱頭部の扱い、フラット部のスタッコによるモールディング、あるいは梁型と格間のスグラフィットなどこれもまた、多様である。(通信7参照)

ポー通り Via Po のロッジアートの中では、サンティッシマ・アヌンツイアータ教会 Chiesa della Santissima Annunziata は17世紀の教会を20世紀にプロジェクトし直したものであるが、回廊にナルテックスが組み込まれている。ポー通りの回廊ではトリノ大学の講堂と中庭が、また慈善病院が組み込まれたようである。住棟ファサードに様々な形象が付帯されて、建物の機能を表象する。

トリノのサヴォイア王家は『Theatrum Sabaudiae』、「サヴォイア王家劇場」というような意味になろうが、王宮、図書館、記録保管所、馬練場など王家の関連施設から都市計画に沿った街区を含めた図版を出版し、他の諸国へ都市のイメージを売り出している。

「トリノの鳥瞰的見えのようなイメージの投影であり、サヴォイア公国の権力のほとんど劇場的誇示の一つの場所として、トリノの理念の表明であった。」と、トリノ工科大学のマウロ・ヴォルピアノ Mauro Volpiano は述べている。

古代に発祥して、近世の自覚的な建築家たちによって自在に深められていった建築の「構成」の課題は、トリノの街に直裁に適用されているといって良い。トリノ出身の建築家カステラモンテ C.Castelamonte やヨーロッパで活躍した17世紀を代表する建築家ユバーラ Juvarra たちが取り組んだ街路と街並みのファサードデザインは、ルネッサンスをスケールで凌駕する。その顔立ちは表題の様式の繰り返しが特質であり、繰り返される、逆に言えば無思考の操作をここでは「機械」と呼ぶが、そのことの表現の意味について考えたい。

「トリノ通信」10

いま、サン・カルロ広場 Piazza San Carlo の回廊に座している。
あるいは、カステッロ広場 Piazza Castello での囲壁としての棟に対しているとしよう。

一方は、足元が規則的なリズムで半円アーチの列柱が上のファサードを支えている。他方は、同様であるとともに、一階から階層構成で壁面が立ち上がる。そして壁面に開口がアーチに同調して規則正しく穿たれている。ここで古代の建築のオーダー論に戻らなければならない。Modulus,ratio,後のモドュ―ルであり、比例である。オーダーに関連して生起していると理解している。ルネサンスで建築家たちは自らの建築論を比例論として表している。彼らの関心は比例という観念を背景に建築のファサード、広場からの正面であったり、道筋を構成する壁面であったりするが、この面をどのように割り付けるか、開口との関係から、また階層構成の寸法に集中する。この建築の文化が、ここでも徹底されている。サン・カルロでは柱は幅広でピラスターを添えた壁柱に、半円アーチが乗る。格間のスパンドレルにはエマヌエレ・フィリベルトに関わる形象がレリーフ化されている。アーチの頂部を結ぶシンプルなブリーズが一階部を示す。その上の縦長構成の矩形の開口と腰壁部から二階部が始まる。この腰壁部の上端、すなわち窓の下端ラインから屋根のコーニスの下端までの寸法がそれにあたるようだ。水平な単純なブリーズによって分けられた二階部と三階部は、ほぼ1:2の比例に近い。3階部には丈の短い同幅の窓がある。

水平方向については、壁柱芯は二、三階の開口の芯であり、半円アーチ頂部芯は間の窓列の芯となる。一つの格間の縦方向と横方向のこの割り付けの仕組みが、建築の棟壁面全体を決定づける。両端部はピラスター付きの壁柱と同幅の石積みに擬したスタッコの伝統工法仕上げで終わる。これは背景であって、目を捉えるものは繰り返すアーチの半円であり、標題の窓上のペディメントの三角形と円弧の交替のリズムである。記述を微細に述べる所以は、トリノの街並みの強い印象は、この繰り返されてくるペディメントの三角形と円弧のリズムであると言えるかもしれない、からである。

軒端は持ち送りによるコーニスのリズムであり、その最後の白いきざはしの上に大きな面の焼き過ぎ煉瓦色の瓦屋根が勾配を上向ける。見方を変えれば、重厚なマッスの表面に衝立のような比例構成を担ったファサードが貼り付けられたように見えると言っても良いかもしれない。そう見れば、先ほどの腰壁のレリーフは3階の窓下にも施されているが、この面に縫い付けられた刺繍にも見えるし、窓間の矩形の付け柱も対比的に浮き出ているように見える。

17 世紀のバロック期に誕生するこの広場を囲繞(いじょう)する建物の面構成の取り扱いは、ペディメント の取り扱いにおけるディテールの敷衍性と一体で、トリノのチェントロ・ストリコ centro storico を普遍的に徴づけている。

Piazza Castello, Via Roma, Via Garibaldi, Via Po といった主だった通りに展開する。
トリノで考えたこと、たとえば一つの建築がどのように都市の中で引き立つかという視点は根本的に失われている、そのことを常に考えさせる。(通信3参照)都市のファサードがルネサンス、 バロック的な様式的な比例による階層構成を取ることが、各街路のファサードの構成に実行される。この都市の表面が優先されること、その中に建築の立ち居振る舞いがしまわれる、ということになる。

そういうなかで様式ということの存在性ということに惹かれる。比例関係の構成から矩形の開口が決定されるとともに三角形、ならびに円形のペディメントが統括的に一体化される。形式というより強烈な観念の継承と継続。その様式の構築に、22歳のヴェルッフリンが清新な感覚から看取した様式の形象生成の論拠を重ね合わせるならば(たとえばギリシャの神殿のファサードの形成に伺われるその時代の人の直観力が意識されている。)、様式を支え、継続してきた精神の系譜を感じるのである。
「三角形・円形ペディメントの機械」に裏打ちされた直観、あるいはその観念への情念を筆者は感得したのである。


参考;トリノに関しては多木浩二『トリノ-夢とカタストロフイーの彼方へ』(Bearlin2012 年)、 『Allemandi’s Torino Architectural Guide』(Umberto Allemandi&C. 2000)という建築案内書,また FIAT の工業都市からの新しい動きを扱った矢作教授たちの調査・研究書などわずかなものを背景的な資料として参考にしている。研究に入り込むことなく、こちらの直観を大切にすることを基本姿勢とした。それゆえ思い違いも多々あるだろう。ただし、本稿記述の際には Diego Vaschetto,Torino,Ieri e Oggi-storie e immagini delle citta’ che cambia,2018(『トリノ 昨日と今日—変化 する街の歴史とイメージ』)を読み込まなければ、言語を白紙に映しこむことはできなかった。

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