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「トリノ通信 1  トリノという発端」

入江正之(建築家/DFI フォルムデザイン一央(株)・早稲田大学名誉教授)

;「個人的な」話から始めよう。括弧付きには意味がある。それは後で、理解されるだろう。大学を辞して、武蔵野に小さな建築デザインのアトリエを構えている。1階の自室から2階の作業場に移動する日々は、大学の研究室での研究・設計・教育活動での 移動時間とは根本的に異なる。そこで、必ず昼に外に出るのを利用 してちょっとした役割も果たす形で、1万歩以上歩くことを課している。

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創造する人

三鷹の駅を大回りして吉祥寺に出るルートをとったとき、井の頭自然文化園の南東側の玉川上水筋を通った。そこは文化勲章受章者である北村西望のアトリエが残る、彼の彫刻が展示された彫刻園の外部の作品展示の庭園に接している。その中の一つに、「創造する人」の立像がある。周囲を見回し的に歩いている視野に引っかかり、心に響いたフォルムだったので、後日作品名を確かめたのである。筋骨隆々たる男性の裸像で、直方体の台座の一辺に平行に、薄平べったい自然岩様の上に両足を大きく開き、上半身から頭部を横左前方に傾けている。すらりと伸べる両脚が筋肉を浮き彫りする胸から肩へ、筋肉が盛り上がる首のない頭部へと連なり、この力の漲りがこの作品に魅力を与えている。指を折るようにした左手の親指が、突出する頭部の傾(かし)いだ額を押し付ける苦悶の表情を見せている。右手は同じようにして親指と人差し指なども右足の大腿部に触れている。世界の苦悶をそのみなぎる力線が浮き出る身体のフォルムで一気に引き受けている。そのことが神話上の人物を想起させたのだろう、その全体のフォルムから発せられるムードが、散歩途中の人の心に突如侵入してきたのである。

このような出会いに、トリノの出会いは近似している、と思う。「創造する人」のスレンダー な脚から上に伸るブルータルな肉体の表出への変容が、トリノに初めて入ったときの回廊都市トリノを歩いた時の喜びと、歩きながら回廊軸の突然の軸の変奏に心が揺さぶられた精神的なものの高揚感につながってくる。このことは後ほどさまざまな角度から触れることになる。古代ロ ーマの海外県という在りようのトリノが、方形の囲壁内を古来からの道路の主軸である、カルド、デクマーヌスシステムのグリッド的な街、道路構成を骨格として大きな変化を伴いながら継承してきた。取り上げた回廊 loggiato はこの都市の歴史的な中心街区 centro storico を 10 数キロに展開している。それゆえ、回廊も街区に沿っているので、直交方向に展開する、ヨーロッパ諸都市を経験して広場と回廊の関係に常に喜びを経験した身にとって、トリノの回廊を歩き始めて、次々につながって行く様相に高揚感を覚えていた。

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そのなかで、ピエトロ・ミッカ通り Via Pietro Micca は特異な街路である。それは 1885 年から 1915 年の 30 年間の間に、旧街区を対角線上に貫く形で建設された。近代化が始動して、行政と民間の投資意向が合致した結果だろう。古い街区を取り壊し、道路を広げ、斜行軸で直線化した。この都市リニューアルプロジェクトは「不衛生なスラムをクリアランスする」と銘打ったもので、建築家カルロ・チェッピ Carlo Ceppi によってなされ、建築は 19 世紀後期の折衷主義によってデザインされている。突然、直交軸を遮る斜交軸の回廊を歩く形になったとき、回廊軸間のずれと交錯が光と影の急激な空間の変容をもたらしたのである。先ほどの高揚感の由来である。「トリノという発端」の始まりである。

ここで、閑話休題。

都市を考える上で、20 世紀に出された名著の一つに J.リクワート (Joseph Rykwert) の主著『まちのイデア』がある。その冒頭部で次の故事を引用して、彼が目指す都市のイデアの本質が語られている。アテーナイの智将,ニキアスがシュラクーサイの海岸でアテーナイの兵士たちを奮起さ せようとして次のように呼かけた、という。

いずこなりと諸君が住むことに決めれば、諸君らは諸君らみずからがまちである。‐‐‐人こそ都市をなすもの、人なき壁や船が都市をなすのではない。

ペロポネソス戦役中におけるアテーナイのシケリア(現在のシチリア)遠征に関わる事蹟で、ニキアス自身がシケリア-スパルタ側に捉えられ最終的に命を落とすことになるのだが、そのような境遇でこれだけのことが言える、ということは言説を吟味するに値しよう。「まち」を物理的な存在として理解するのではなく、人の営みの中に「まち」を見る、それは現在では至極当然である。さらにいえば、人、その個が「まち」なのである、そのことをこの言葉は示唆している。

「あなたがまちをつくる」、「あなたがたがまちをつくる」というのではなく、「あなたがまちなのである。」ということから始めなければならない。そのことの意味は何か? 人の懐胎する観念に「まち」も生まれるということである。「まちのイデア」という観念の受容と自覚である。さらにいえば、 ひとりの人間の経験に「まち」は生まれていると捉えたい。その人に飛込んできた経験が、「まち」となったのである。「個人的な話から始めよう」、と述べたことの意味がここに繋がったようだ。 


参考;トリノに関しては多木浩二『トリノ-夢とカタストロフイーの彼方へ』(Bearlin2012 年)、 『Allemandi’s Torino Architectural Guide』(Umberto Allemandi&C. 2000)という建築案内書,また FIAT の工業都市からの新しい動きを扱った矢作教授たちの調査・研究書などわずかなものを背景的な資料として参考にしている。研究に入り込むことなく、こちらの直観を大切にすることを基本姿勢とした。それゆえ思い違いも多々あるだろう。ただし、本稿記述の際には Diego Vaschetto,Torino,Ieri e Oggi-storie e immagini delle citta’ che cambia,2018(『トリノ 昨日と今日—変化 する街の歴史とイメージ』)を読み込まなければ、言語を白紙に映しこむことはできなかった。

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