序 「トリノ通信」に向けて

入江正之(建築家/DFI フォルムデザイン一央(株)・早稲田大学名誉教授)

トリノという都市は、イタリアを代表する自動車メイカーフィアット FIAT の本社がある工業都市で、90万ほどの町である。最盛期 130 万ほどの人口が、主力産業の衰退と国際的統合などを経て現在に至っている。近年は自動車産業に加えて、スローフードや産業形態の変化を見越した街つくりなどで、EU 諸国の中で注目を集めている都市と言える。由来はヨーロッパの諸都市と同じように歴史は古く、古代のローマの居留地であったこともあり、その遺構も残っている。 特にその上に立って近世に大きな変化を遂げ、旧市街という碁盤目状の都市中心 centro storico には王宮が位置し、同じく直交する回廊が張り巡らされる回廊都市である。同時にこの地の王侯であったサヴォイア家の居城がいくつか郊外に分散して、現在ユネスコの世界遺産となっている。

トリノでなければならない理由はとりあえずない。これまでの Gaudi や Cataluna 研究の経験から言えば、バルセロナでなければならない、ということはある。こういう関係から選択された都市ではない、そこに都市を捉えなおす、また対象を捉えることの方法を考える視点も改めて見ることになるかもしれない。先へと急ごう。ガウディとともにバルセロナに深く関わってきて、ちょっとしたきっかけでトリノに訪れたのである。そういう偶然の出会いといえる。日本でこれまで旅行案内書にもイタリア北部ではミラノは大きく取り扱われるが、トリノについては言及されてこなかったようだ。専門の建築関係で言えば、都市といえばイタリア中世都市について触れることは多いし、こちらも憧れて若い時分に貧乏旅行して訪ね歩いたものである。

年齢を重ねることは、対象の人物にとって経験の蓄積に伴う思惟の動向に伴う深まりも生まれる。「観念」と いうことと「存在」ということは、現在のこちらの当面の眼前対象者といえる。そのような体勢の中で、以下の最初の稿の体験が侵入してきた、そのことがこちらにとってのトリノなのである。 2019 年 9 月 2 日から 11 月 27 日の約 3 ヶ月を歴史的中心街の居宅で過ごした。ビザなし渡航のほぼ最大限を使ってのことである。以下は都市論とはいえない。個人にとっての都市しか、個人には存在し得ないだろう、と大見得を切ったつもりである。

都市は個の中に生まれるのであり、 個は都市である。

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